「トニー・ブルックス」の版間の差分

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1959年はヴァンウォールが活動を大幅に縮小し、参戦は第5戦イギリスグランプリのみとなった。ブルックスは、そのレースのみ同チームからエントリーしたが、残りのレースはフェラーリ<ref name="highspeeddriving-124"/>から出走。開幕戦モナコグランプリで2位に入り、幸先の良いスタートを切った。
 
シーズン中盤、第4戦フランスグランプリにおいて予選でPPを獲得し、決勝でも優勝<ref name="highspeeddriving-124"/>。自身初の[[ポールトゥーウィン]]を達成した。しかしイギリスグランプリをフェラーリの[[ストライキ]]により欠場しポイントを重ねることができず、これがチャンピオンシップに大きく響いた。2ヒート制となった第6戦ドイツグランプリでも、2度目のポールトゥーウィンを記録しての勝利<ref name="highspeeddriving-124"/>。この際は、FLも獲得しての完全勝利だった。世界チャンピオンは目の前だったがイタリアグランプリのスタートでクラッチを焼いてしまい、結果としてタイトルを逃した<ref name="highspeeddriving-124"/>。最終戦アメリカグランプリでの3位により、[[ジャック・ブラバム]]に次ぐランキング2位<ref name="highspeeddriving-124"/>でシーズンを終了。これが自身のベストランクとなった。
 
=== 1960年 ===