「ファン・マヌエル・ファンジオ」の版間の差分

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== 特筆されるレース ==
危機回避能力が極めて高いことで知られ、多くのドライバーを巻き添えにした複合事故から一人だけ事態を見抜いてたびたび危機を回避している<ref name="newhighspeeddriving-140">『新ハイスピード・ドライビング』p.140。</ref>。
;1950年[[1950年モナコグランプリ]]
:1周目にタバココーナーで多重接触事故が発生し、リタイアしたマシン10台がコースを塞いだ。先頭のファンジオはその状況を知らないまま2周目に入ったが、事故現場のブラインドコーナー手前で減速し、もらい事故を回避した。ファンジオは観客の視線が自分ではなくコースの方を向いていることに気付き、咄嗟にコース上の危険な状況を察知したという<ref>『F1倶楽部 vol.6 モナコグランプリ物語』 双葉社、1994年、43 - 44頁。</ref>。
;1953年[[1953年イタリアグランプリ]]
:[[モンツァ・サーキット]]にて最終周回の直線で先行していた[[アルベルト・アスカリ]]と[[ジュゼッペ・ファリーナ]]は遅い車に邪魔されて2台ともクラッシュしたが、そのすぐ後ろを入っていたファンジオは一瞬で事態を見抜き、衝突を避けて優勝した<ref name="newhighspeeddriving-140" />。
;[[1955年のル・マン24時間レース]]
:[[ピエール・ルヴェー]]の[[メルセデス・ベンツ]]がランス・マックリンのヒーレーに追突してコースを飛び出して観客80人を死亡させる大混乱の中、そのすぐ後ろを走っていた<ref name="newhighspeeddriving-140" />にも関わらず、ルヴェーが手を挙げたのを見て危険を察知<ref name="deathrace-167">『死のレース 1955年 ルマン』p.167。</ref>、マックリンのヒーレーとホーソーンの[[ジャガー・Dタイプ]]の間に僅かな空間を見つけ<ref name="deathrace-167" />その隙間を縫って間一髪でもらい事故を回避した<ref name="newhighspeeddriving-140" />。ファンジオのメルセデス・ベンツには[[ジャガー (自動車)|ジャガー]]の緑色のペイントが付着していた<ref name="deathrace-167" />。この大惨事によって精神的に大きなショックを受けたファンジオは、これ以後生涯一度たりともル・マン24時間レースに出走する事はなかった。
;1955年[[1955年イギリスグランプリ]]
:[[メルセデスAMG F1|メルセデス]]時代、ファンジオと若き[[スターリング・モス]]は理想的な師弟関係を築いた。モスはファンジオの後衛を務め、ファンジオ-モスの順でワンツーフィニッシュを重ねたが、モスの地元イギリスグランプリだけは逆になった。レース中、モスは手で追い抜くよう合図したが、ファンジオは抜こうとせず、モスがF1初優勝を達成した。レース後、モスが譲ってくれたことに礼を述べると、ファンジオは「違うよ、君が速かったんだ」とだけ答えた。
;1956年[[1956年イタリアグランプリ]]
:チャンピオン決定戦となった最終戦イタリアグランプリで、ファンジオはマシントラブルに見舞われピットに戻った。当時のルールではマシンの乗換えが認められたが、[[ルイジ・ムッソ]]は[[チームオーダー]]を無視した。しかしフェラーリの同僚[[ピーター・コリンズ]]は自らのタイトルの権利を捨ててファンジオにマシンを譲り、ファンジオが3連覇を達成するという美談があった(当時の規定では、1台を2人のドライバーが乗り継いでゴールした場合、得点が半分ずつ得られたため)。
;1957年[[1957年モナコグランプリ]]
:2周目、まだスタート直後で全車が一団となって走っている中で先頭のスターリング・モスが障壁に衝突し、続いていた[[マイク・ホーソーン]]とピーター・コリンズが避けきれずに多重衝突となり3台の車でほとんどコースが塞がった中、すぐ後ろを走っていたにも関わらず[[マセラティ]]を巧みに操り危機を切り抜け優勝した<ref name="newhighspeeddriving-140" />。
;1957年[[1957年ドイツグランプリ]]
:[[ファイル:Juan Manuel Fangio Nurburgring 1957.jpg|thumb|right|160px|ニュルブルクリンクで優勝したファンジオ]]
:ファンジオのレースキャリアの中でも、この年の[[ニュルブルクリンク]]でのドイツグランプリはベストレースと評される。
:マセラティチームは燃料再給油・タイヤ交換作戦を計画し、ファンジオは充分なリードを築いてからピットインしたが、ピット作業に手間取って首位から3位に転落した。コース復帰後もペースが上がらないのを見たフェラーリチームは、1、2位のドライバーに安全に順位をキープするためペースダウンの指示を送った。