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鳥甲 (会話 | 投稿記録)
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'''野狐禅'''(やこぜん)とは、[[禅宗]]において、禅に似て非なる'''邪禅'''のこと。『[[百丈懐海|百丈]]語録』、『五灯会元』の巻三で百丈に纏わる一箪として語られ、『[[無門関]]』で21則の「[[百丈懐海狗子仏性|百丈趙州狗子]]」に続く第2則の「百丈野狐」として出る語である。野狐(やこ)は低級な[[妖狐]]の1つを意味する。野狐精(やこぜい)、野狐身(やこしん)、また'''生禅'''(なまぜん)ともいう
 
野狐(やこ)は低級な[[妖狐]]を意味する。のぎつねの精として野狐精(やこぜい)、その身として野狐身(やこしん)ともいう。奇異な言動をする禅の修行者、人をだます誤った禅を指して言い、'''生禅'''(なまぜん)とも言う<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%87%8E%E7%8B%90%E7%A6%85-143611 野狐禅] - コトバンク(朝日新聞)。</ref>。
「[[法 (仏教)|仏法]]は無我にて候」として真実の仏陀は自我を空じた無我のところに自覚体認されるはずのものなのに、徒(いたずら)に未証已証(みしょう・いしょう、いまだ証していないのに既に証覚を得た)という、独り善がりの大我禅者をいう。いわゆる魔禅の1つ。
 
「無門関」第2則の「百丈野狐」の公案には、前世にむかし百丈山にいた老人が、かつ弟子の質問に対し覚っ仏道修行に通底した者は「[[因果]]に落ちない」と言い、「空」の境涯のみを持ち上げて因果の理法を無視しが為にため、五百生の間、野狐身の[[畜生道]]に堕したとてしまってう話た。百丈ある。老人に化したこの話から野狐の問ったんの「空」の無相の境涯に捉われて、真に妙有・妙用(みょうう・みょうゆう)の境地ないのに自ら覚り終ったとする独り善がりの[[増上慢]](ぞうじょう「因果を昧ん)の禅をたさず」えてったものという逸話である。
 
== 関連項目 ==