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==概略==
鐘陵([[進賢県]])、一説には金陵(南京市)の人ともいう。江寧の名族で代々南唐に仕える<ref>{{Cite book|和書|author=瀧遼一|year=1992|title=縮刷 東洋歴史大辞典 中巻|publisher=臨川書店|pages=P.401}}</ref>。写生を善くし花鳥魚果の名人といわれていた。南唐の君主であった[[李煜]]が徐熈の名画を多く蓄え、後に宋に降伏したさいにその秘蔵の画をすべて贈呈した<ref>{{Cite book|和書|author=内藤湖南|year=2002|title=支那絵画史|publisher=ちくま学芸文庫|pages=P.94}}</ref>。の太宗は徐熙の画について「花果の妙、吾れ独り熙あるを知るのみ」といって賛美した。
 
彼の画風は水墨を主体として淡彩を加え、粗放な筆致のうちに写意的表現を特色とした。北宋の『図画見聞誌』には黄筌の画法の富貴にたいし、「野逸」と評される<ref>{{Cite book|和書|author=内藤湖南|year=2002|title=支那絵画史|publisher=ちくま学芸文庫|pages=P.94}}</ref>。孫の徐崇嗣・徐崇矩によって大成され、崇嗣は墨線を用いない没骨画を創始した人物とされた<ref>{{Cite book|和書|author=内藤湖南|year=2002|title=支那絵画史|publisher=ちくま学芸文庫|pages=P.96}}</ref>。