「インセスト・タブー」の版間の差分

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また過去には[[親子婚]]や[[兄弟姉妹婚]]に対する明確な規制がなかった社会も多く存在しており、[[ジャワ]]の[[カラング族]]などでは母と息子の結婚が許可されていたり、[[ビルマ]]の[[カレン族]]などでは父と娘の結婚が許可されていたりと、親子間の近親婚が容認されていた文化もあり、[[エジプト]]では古代の王族のみならずかつては庶民も兄弟姉妹で結婚していたという話もあり、また異父もしくは異母の兄弟姉妹について見た場合は話はさらにややこしくなり、古代[[アテナイ]]では同父異母の兄弟姉妹は結婚が許可され、古代[[スパルタ]]では同母異父の兄弟姉妹は結婚が許可されていた<ref>『タブーの謎を解く』(山内昶、1996年) 55・56ページ ISBN 4-480-05691-2</ref>。また、[[日本]]では[[夜這い]]の伝統で[[性教育]]の一環として適当な初体験の相手がいない場合は母親や父親が相手を務めることもあったという<ref>[[赤松啓介]] 『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』(筑摩書房、2004年) 59ページ ISBN 4480088644</ref>。[[シベリア]]の[[ヤクート]]では、[[処女]]のまま[[嫁]]になった場合は不幸に繋がりかねないとして、結婚前に兄弟が性行為の相手をする慣習の存在も伝えられていた<ref>『インセスト幻想—人類最後のタブー』(原田武、2001年) 102ページ ISBN 440924065X</ref>。
 
インセスト・タブーは公共倫理の一種として一般的には語られることが多く、[[倫理学]]的な文脈で扱われることもある<ref>{{cite journal|url=http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/ReCPAcoe/kurozumi.pdf|format=PDF|title=公共形成の倫理学 : 東アジア思想を視野に|author=黒住 真|journal=公共研究|volume=2|issue=4|pages=86-115|date=2006年3月28日|publisher=[[千葉大学]]|naid=120000934605|issn=1881-4859|accessdate=2011-08-19}}</ref>。稀ながら現代においても近親相姦が文化的に許容されている場合もあり、シエラ・マドレ山脈に住む[[ネイティブ・アメリカン|インディアン]]らは父娘相姦を行っているという話がある。実際に近親相姦を行っている人々の行動によって法律が緩和された事例もあり、[[スウェーデン]]では[[近親相姦罪]]で有罪になった異父兄妹が2人の子供をもうけるという騒動があったことから1973年に法律を改正し、半きょうだいならば当局の特別の許可を得た上で結婚が可能となった<ref>{{cite journal|author=棚村 政行|year=2005|url=http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/29489/1/Hogaku_80_04_002_TANAMURA.pdf|format=PDF|title=遺族厚生年金受給権と近親婚的内縁の効力|journal=早稲田法学|publisher=[[早稲田大学]]|volume=80|issue=4|pages=21-67|naid=120001941628|issn=0389-0546|accessdate=2011-09-02}}</ref>。中国では[[唐]]の十悪があり、近親相姦は悪とされていた。だが、中国の律令制を参考にして作られたはずの日本の律令制では[[八虐|「八」虐]]となり、近親相姦は除かれていた。日本で近親相姦の禁忌視が本格的に強まったのは江戸時代で、このころには異性[[双生児]]が母体内で同胞相姦があるとして嫌悪されていた<ref>池田由子 『児童虐待』(中公新書、1987年) 53ページ ISBN 4-12-100829-4</ref>。
 
禁止されることでかえって近親相姦に対する欲望が喚起されうるとする見方も存在し、[[ディドロ]]は『ブーガンヴィル航海記補遺』で[[タヒチ]]の原住民の言葉という形式で近親相姦を禁止したところでそのように禁止すれば中には行いたがる者も出るであろうと主張しており、特に文学作品ではインセスト・タブーをあえて破ることによって傲慢な誇りを得ているような人物が登場することもある<ref>『インセスト幻想—人類最後のタブー』(原田 武、2001年) 55・56ページ ISBN 440924065X</ref>。もっとも、[[ジル・ドゥルーズ|ドゥルーズ]]=[[フェリックス・ガタリ|ガタリ]]が『[[アンチ・オイディプス]]』で主張するところでは、社会的抑制に伴う[[抑圧 (社会科学)|抑圧]]によって生まれたイメージとしての近親相姦は実行不可能な代物だとしている<ref>{{cite journal|url=http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/57390/1/eda047_465.pdf|format=PDF|title=原始社会における教育 : ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス」に基づいて|author=森田 裕之|date=2001年3月31日|journal=京都大学大学院教育学研究科紀要|volume=47|pages=465-474|publisher=[[京都大学]]|naid=110000083487|issn=13452142|accessdate=2011-09-02}}</ref>。
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サルの研究では、まず1950年代に[[徳田喜三郎]]が京都動物園のアカギザル・カニクイザルの間では母息子間の性行為がないことを指摘。その後、サル学者の[[高畑由紀夫]]は、[[ニホンザル]]の群れの交尾2000例あまりのうち、一親等にあたる個体間の交尾例はゼロ、二親等で5例、三親等でもわずか7例に過ぎなかったことを報告している。ただし、サルの群れは若く立場が弱いオスが年長の権力的なオスに追い出されたりもする社会であるために父親が認知しにくく、この観察結果は母系の血縁のみを反映していることに注意が必要である。ゴリラは幼いころから一緒に育ったゴリラとは決して交尾しないことは有名であり、その他多くの哺乳類は野生下では繁殖に際して近親交配を避ける行動をとる。[[ハダカデバネズミ]]、[[テッポウエビ]]のように近親交配を重ねる生物も知られているが、極めて少数であり、独特の生態を発達させている。
 
一方で、遺伝学者[[パトリック・ベイトソン]]が[[鳥類]]で示したように、多くの動物は近親個体とあまりにかけ離れすぎていない個体をつがい相手として好む。ベイトソンは日本の[[ウズラ]]を用いた実験で、一緒に育てられたきょうだいだけではなく血縁が全くない個体も交配相手として避けられ、いとこが交配相手に選ばれる確率が高いことを発見した<ref>『タブーの謎を解く』(山内昶、1996年) 93ページ ISBN 4-480-05691-2</ref>。この場合の究極要因はかけ離れすぎた相手との配偶が異系交配のリスクを高めるためだと推測されている。また、生殖に関係ない範囲においては[[ボノボ]]やチンパンジーで性的に未熟な息子と母親の交尾が観察されることもある<ref>{{cite journal|url=http://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2003/12.HIRAYAMA.pdf|format=PDF|title=人間社会と精神の起源|author=[[平山朝治]]|journal=東京家政学院筑波女子大学紀要|volume=7|pages=159-177|year=2003|publisher=[[筑波学院大学]]|accessdate=2011-09-06}}</ref>。動物がどのようにして近親者を認知しているかについて明らかになっていることは少ないが、幼年時に共に育った個体や親を近親者と認識することをウェスターマーク効果と呼び、ヒトも含めたいくつかの[[哺乳類]]で同様の効果が知られている。
 
どちらにせよヒト以外の生物には、言語がないことと、破った場合の制裁が観察されていないことから、制度としてのタブーを観察することができないこともあり、インセスト・タブーとしてではなくインセスト・アボイダンス(近交回避、インセスト・アヴォイダンス)と称される。