「カメルーンの歴史」の版間の差分

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→‎独立以後:  2016年に抗議デモ
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第一次世界大戦終結時点でのイギリスの植民地政策は、極端に表現すると[[イギリス領インド帝国]]一国のみに集中して投資を行い、他の拠点は防衛や海上輸送の中継地として確保するというものであった。これはアメリカ合衆国独立などを経て、全世界に分散して投資すると防衛面で不利になるだけでなく、投資の回収も不可能になってしまうとの判断によるものでる。イギリスのアフリカ植民地政策は、[[1869年]][[11月17日]]に開通した[[スエズ運河]]が最重要拠点となった。交通の要衝[[エジプト]]と[[紅海]]沿岸のほかは、[[南部アフリカ]]の鉱物資源を死守すれば良いと考えていたため、カメルーンを自国領として確保したのちも、ドイツのような投資、開発は一切進めなかった。
 
イギリスの民間部門は[[イギリス軍]]が第一次世界大戦中にドイツから接収したドイツ人プランテーションの経営に参加しなかったため、1924年以後元ドイツ人所有のプランテーションがドイツ人によって買い戻された<ref name="oda1986.74-75">[[#小田(1986)|小田(1986:74-75)]]</ref>。また、イギリスは西カメルーンを分割してその北部を[[ナイジェリア植民地]]に併合した<ref name="oda1986.74-75"/>。このことが遠因となり、1961年のイギリス領独立時に北部の諸州がナイジェリアへ帰属することになる。
 
=== フランス領カメルーン ===
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=== 註釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
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[[Category:カメルーン|*れきし]]
[[Category:カメルーンの歴史|*]]
 
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