「ジャッキー・イクス」の版間の差分

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=== 1976年 ===
[[ファイル:Wolf Pits.jpg|thumb|ウィリアムズ時代のイクス]]
1973年最終戦以来となる[[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]]チームに移籍。しかしアメリカ西グランプリ、ベルギーグランプリ、モナコグランプリ、イギリスグランプリで予選落ちを喫するという散々な成績の末チーウィリアを去ることになる。この年は、スウェーデングランプリを欠場する代わりに[[ポルシェ・936]]を駆り[[ル・マン24時間レース]]を制しており、この頃からスポーツカーレースを活動の中心に置くようになったようである。その後ドイツグランプリで起こった[[ニキ・ラウダ]]の事故にて、安全管理に不満を示しF1を引退した[[クリス・エイモン]]に代わり母国オーストリアグランプリを走った[[ハンス・ビンダー]]を引き継ぐ形で[[エンサイン]]に移籍しF1復帰。イタリアグランプリ、カナダグランプリで完走するも世界のトップドライバーに見合うパッケージとは程遠かった。
 
=== 1977年 ===
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=== 1979年 ===
もはやモナコグランプリにも母国ベルギーグランプリにも出走しなかったが、フランスグランプリ前に[[リジェ]]の[[パトリック・デパイユ]]が[[ハンググライダー]]の事故で負傷して空いたシートに収まった。この年リジェチームは3勝を挙げており、再び勝利を伺える千載一遇のチャンスだったが、不運にもシーズン中頃から低迷、5位と6位それぞれ1回ずつの入賞に留まった。最終戦アメリカグランプリはグリッド最後尾24番手でかろうじて決勝に進出したものの決勝レーススタート2周目アクシデントでリタイア、更にその次の周ではチームメイト、[[ジャック・ラフィット]]までもアクシデントでリタイア。この年を最後にF1を去り、リジェのシートは[[ディディエ・ピローニ]]に引き継がれた。
 
== 耐久レース ==