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蒋介石は直ちに部隊を集め広西侵攻の準備をし、あわせて李宗仁、白崇禧に下野して出国することを勧告し、黄紹竑には広西でそのまま留まるのを認めた。ただし、李明瑞、兪作柏を広西の主席とすることを条件とした。新広西派にとってこの内容が十分に苛酷で、受け入れることができなかったので、部隊を動員し迎撃戦の準備をした。
 
5月5日、新広西派は「護党救国軍」の成立を宣言し、蒋介石討伐を発表した。同時に出撃を明らかにし、まず広東を攻略し、広東の収入を奪って経済を支え、同時に軍事的勝利をもって政治的劣勢を転換させた。5月15日、北方の馮玉祥は新広西派と合同して蒋介石を討つことを宣言し、蒋介石進攻のため出兵した。しかし、馮の配下の[[石友三]]は[[韓復ク|韓復榘]]とともに馮への追随を放棄し、蒋に帰順した。このため馮玉祥の作戦は失敗することとなった。
 
5月中、新広西派の部隊は二手に分かれて広東に進攻し、広東派(粤系、粤軍)を破り、広州城下まで前進した。蒋介石は湖南派(湘系、湘軍)、貴州派(黔系、黔軍)、雲南派(滇系、滇軍)等の部隊を集め広西に進攻し、新広西派を牽制した。新広西派と広東派は白泥地区(広東省[[深圳市]])で決戦を展開し、新広西派は敗れて、新広西派の広東進攻作戦は失敗に終わった。また、北方の盟友馮玉祥の失敗を知り、新広西派は広西に退却を迫られた。しかし同時に桂林、柳州の線の新広西派はたびたび湖南派、貴州派、雲南派等の部隊に勝利していた。