「スペイン継承戦争」の版間の差分

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戦争はまず、オーストリアがスペイン領[[ミラノ公国|ミラノ]]奪還を目指して、1701年に[[オイゲン・フォン・ザヴォイエン|プリンツ・オイゲン]]率いる軍を北イタリアに進撃させたことで始まった<ref>[[#金澤 1966|金澤 1966]] p.102</ref>。
 
イギリスは[[1702年]]にウィリアム3世が崩御。新たに即位した義妹の[[アン (イギリス女王)|アン女王]]の下で[[シドニー・ゴドルフィン (初代ゴドルフィン伯)|シドニー・ゴドルフィン]]を中心とした政権が成立、女王の親友でもある女官[[サラ・ジェニングス]]の夫である[[マールバラ公]][[ジョン・チャーチル (初代マールバラ公)|ジョン・チャーチル]]が司令官に任命された。1702年夏、マールバラ公は4万の兵力を率いて大陸に派遣される<ref>[[#金澤 1966|金澤 1966]] p.101</ref>。イギリス軍はオランダ軍と連合して[[フランドル]]に迫った。ここでマールバラ公はオランダに接近したフランス軍を威嚇しながら占領地域を解放、[[1703年]]にはフランス軍をネーデルラントへ後退させた。また、マールバラ公はケルン選候領経由で南下し、バイエルンを視野に入れた<ref name="kanazawa1966-103">[[#金澤 1966|金澤 1966]] p.103</ref>。フランスは同年8月、[[クロード・ルイ・エクトル・ド・ヴィラール|ヴィラール]]を抜擢して、オイゲン公不在の間隙に、ハプスブルク家の本拠地[[ウィーン]]を攻撃する<ref name="kanazawa1966-103"/>。
 
[[ポルトガル王国|ポルトガル]]やブランデンブルク=プロイセン・ハノーファーを始めとするドイツの諸領邦国家も同盟に加わったため、フランスは孤立無援に陥った。しかし[[1704年]]春、バイエルン選帝侯[[マクシミリアン2世エマヌエル (バイエルン選帝侯) |マクシミリアン2世]]の同盟を得て[[アルザス地域圏|アルザス]]を占領、南ドイツに軍を派遣してオーストリアを脅かした。これに対して、オイゲン公がイタリアから急遽帰還、加えてマールバラ公率いるイギリス軍と[[ハイルブロン]]で合流し、[[8月13日]]の[[ブレンハイムの戦い]]でフランスを破った。結果、バイエルンは同盟国に占拠されたため、フランス軍はアルザスまで後退した<ref name="kanazawa1966-107">[[#金澤 1966|金澤 1966]] p.107</ref>。バイエルン選帝侯マクシミリアン2世はネーデルラントへ亡命し<ref name="kanazawa1966-107"/>、オーストリアの危機は去った。