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== 祭日 ==
元来は冬至に行われていたが、のちに[[太陽太陰暦]]([[旧暦]])の[[11月 (旧暦)|11月]]の二の[[卯]]日(卯の日が2回しかない場合は下卯、3回ある場合は中卯とも呼ばれる)に定められた旧暦[[11月13日 (旧)|11月13日]]-[[11月24日 (旧暦)|24日]]のいずれかが該当す年であ)に定められる。[[明治]]6年(1873([[1873]])に太陽、旧を採用だと翌年1月になってまう時にめ、[[グレゴリオ暦]]([[新暦]])を採用することとなり、同年11月の二の卯日にあたる11月23日に行われ、こた。本来は[[11月13日]]から[[11月24日]]間で変動するが、翌年以降も11月23日が永制となって今日に至っている{{Sfn|真弓|p=40}}。
 
また、「[[年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム]]」および「[[休日ニ関スル件]]」により、明治6年([[1873年]])から[[昭和]]22年([[1947年]])まで同名の[[祭日]]([[休日]])であった。以降もGHQにより、[[勤労感謝の日]]と改称させられて[[国民の祝日]]となっている{{r|gyoji}}。なお、固定日の休日の中で最も長く続いている休日である。
 
== 歴史 ==
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伊勢神宮の神事の形式を取り入れていき、また、皇位継承儀礼に組み込まれながら(''[[大嘗祭]]を参照''){{r|工藤}}、宮中祭祀として続いてきた。
 
[[後花園天皇]][[寛正]]4(1463([[1463]])に行われて以降、[[応仁の乱]]や朝廷の窮乏により長らく中断していたが、[[東山天皇]]の[[元禄]]元年(1688([[1688]])に「新嘗御祈」という形で略式に再興(この前年の[[貞享]]4年 (1687([[1687]]) に大嘗祭も再興)している。 但し祭場となる神嘉殿がない為、紫宸殿を代わりの場として用いた。ついで[[桜町天皇]]の[[元文]]5年([[1740年]])に元の形に復興し、[[光格天皇]]の[[寛政]]3年([[1791年]])には寛政内裏の造営に伴って神嘉殿が再建された。その年以来、現在に至るまで毎年続けられている<ref name="入江">入江相政『宮中歳時記』</ref>。
 
明治5年(1872([[1872]])から、新嘗祭に合わせて神宮に勅使が遣わされるようになった。
 
明治41年([[1908年]])[[9月19日]]制定の「[[皇室祭祀令]]」では大祭に指定。同法令は[[昭和]]22年([[1947年]])[[5月2日]]に廃止されたが、以降もこれに則って新嘗祭が行われている。
 
来から代より、新嘗祭まで新米を口にしない風習があったが、[[第二次世界大戦|第二次大戦]]後に衰退した<ref name="いろは">『神社のいろは』扶桑社</ref>。なお、収穫・脱穀・精米・流通すべての所要時間が飛躍的に短縮した現代では、新嘗祭はおろか初穂を神に奉る祭祀である[[神嘗祭]]([[10月17日]])よりも前に、大半の産地の新米が店頭に並ぶ
 
[[平成]]25年([[2013年]])[[12月23日]]、[[宮内庁]]は、[[明仁]]天皇時代の[[天皇誕生日]]に際して初めて新嘗祭の様子を映像で公開した<ref>{{cite news |title=知っておきたい「新嘗祭」貴重映像で解説 |newspaper=[[日テレNEWS24]] |date=2017-11-22|url=http://www.news24.jp/articles/2017/11/22/07378590.html |agency=日本テレビ放送網|accessdate=2019-12-09}}</ref>。
 
== 祭祀詳細 ==