「トカレフM1940半自動小銃」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Frou01 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Frou01 (会話 | 投稿記録)
事実に反する記述を修正。KO-40猟銃について記述
42行目:
 
== その後 ==
M1938の欠点を改善するべく開発されたM1940であったが、最後まで欠点を改善することはできなかったが、徐々に生産数を減らしつつ終戦まで生産され、<ref>{{Cite web |url=https://forums.gunboards.com/showthread.php?504617-Tokarev-SVT-40-Identifying-collecting-and-FAQ |title=Tokarev SVT-40. Identifying, collecting and FAQ. |accessdate=2020-02-25}}</ref>また戦後M1940の猟銃としてフルオートライフルへの改造(AVT-40)が行われたが失敗。[[前線]]の[[兵士]]は、結局既存の改良型[[モシン・ナガンM1891/30]]機能使用するようになって封印まっ。結局、不具合が相次いだM1940は[[1944年]]頃にKO-40も生産が打ち切らてしまった。
 
世間から見れば失敗作に近いM1940だが、作動方式や機構などは当時には無いものであった。[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]は、戦地で[[鹵獲]]したM1940を自軍の[[自動小銃]]開発の参考にしたと言われている。また、比較的軽量な狙撃銃である事も手伝って赤軍の女性スナイパーたちの多くはこの銃を愛用した。確認戦果309名射殺という傑出した成績を残した史上最高の女性スナイパー[[リュドミラ・パヴリチェンコ]]も、遠距離射撃の精度に優れている[[モシン・ナガンM1891/30]]から、遠距離射撃には不向きでも装弾数が10発と多く、パヴリチェンコが得意とした後退戦闘や防御戦闘、あるいは近~中距離での市街戦という状況に適したこのトカレフSVT-40に持ち換えている。