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明治41年([[1908年]])[[9月19日]]制定の「[[皇室祭祀令]]」では大祭に指定。同法令は昭和22年([[1947年]])[[5月2日]]に廃止されたが、以降もこれに則って新嘗祭が行われている。
 
中稲の[[イネ]]の収穫期にあたる[[9月17日 (旧暦)|旧暦9月17日]]に行われてきた[[神嘗祭]]から約2ヶ月後、晩稲のイネの収穫もとうに終わり、雪が降ってもおかしくない旧暦11月の二の卯の日に行われてきた新嘗祭は、収穫期ではなく、古米が底をついて新米に切り替わる時期の祭祀でもあった。このことから、新嘗祭まで新米を口にしない風習が古代からあったが、[[第二次世界大戦]]後に衰退した<ref name="いろは">『神社のいろは』扶桑社</ref>。なお、先述の通り、明治6年以降新嘗祭は新暦を採用し続けているが、同時に一旦は新暦を採用した神嘗祭が、イネの生育の問題から明治12年([[1879年]])以降は[[月遅れ]]を採用して新暦[[10月17日]]に行われるようになったため、神嘗祭と新嘗祭の間隔は約1ヶ月縮まっている。
 
[[平成]]25年([[2013年]])[[12月23日]]、[[宮内庁]]は、[[明仁]]天皇時代の[[天皇誕生日]]に際して初めて新嘗祭の様子を映像で公開した<ref>{{cite news |title=知っておきたい「新嘗祭」貴重映像で解説 |newspaper=[[日テレNEWS24]] |date=2017-11-22|url=http://www.news24.jp/articles/2017/11/22/07378590.html |agency=日本テレビ放送網|accessdate=2019-12-09}}</ref>。