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[[ファイル:Head-on collision of Aiden DEN1-5 and DEN2-15.jpg|thumb|新舞子駅付近で発生した正面衝突事故]]
 
折からの好景気によって愛電の鉄道路線収入は増加の一途を辿ったが、元来鉄道事業は公益性が高く利潤を追い求める事業ではないことから<ref name="meitetsu1961_p162-163" />、愛電においては経営の多角化によって一層の増収を図る経営方針が定められた<ref name="meitetsu1961_p162-163" />。折りしも名古屋市内を中心に他社の[[乗合バス]]事業が好成績を上げており、また当時大都市近郊では一部の大手私鉄事業者の一部手がけた土地販売・住宅開発や遊園地の運営などについても、鉄道事業者を手取り組むべき指針を示すものと位置付られていた<ref name="meitetsu1961_p162-163" />。
 
そのような情勢下で開催された[[1918年]](大正7年)12月の定期株主総会においては、会社定款の営業目的に自動車事業を追加した<ref name="meitetsu1961_p162-163" />。さらに翌[[1919年]](大正8年)12月の定期株主総会において、定款に土地住宅開発事業を追加するとともに<ref name="meitetsu1961_p162-163" />、常滑線の複線化・有松線の延伸・[[名鉄築港線|築港線]]の建設など鉄道関連事業資金および土地住宅経営資金を調達する目的で、資本金を185万円から500万円に増資することが決議された<ref name="meitetsu1961_p162-163" />。増資にあたっては、名古屋電灯が新規発行株のうち20,000株を引き受けて愛電の筆頭株主となり<ref name="meitetsu1961_p162-163" />、同社から副支配人の青木義雄{{refnest|group="人物"|豊橋電灯取締役、のち名古屋電灯取締役<ref name="ndl913388_p119" />。}}が送り込まれ、愛電の常務取締役に就任した<ref name="meitetsu1961_p162-163" />。