「エマニュエル・トッド」の版間の差分

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[[パリ大学|ソルボンヌ大学]]の学部生の頃、単位を取る必要から[[歴史人口学]]を履修し、[[:fr:Jacques_Dupâquier|ジャック・デュパキエ]]の授業を受けた<ref>問題は英国ではない、EUなのだ p.82</ref>[[パリ政治学院]]を卒業後、父の友人である[[エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ]]の勧めで[[ケンブリッジ大学]]に入学した。1971年から1975年まで家族制度研究の第一人者である[[:en:Peter_Laslett|ピーター・ラスレット]]の指導を受け<ref>家族システムの起源Ⅰ ユーラシア、23ページ 藤原書店, 2016 ISBN 9784865780727</ref>、[[1976年]]に『工業化以前のヨーロッパの七つの農民共同体』と題する博士[[論文]]を提出し、[[博士号]]を取得した<ref>{{citation
| contribution=トッド人類学の基礎
| author=石崎晴己
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| year=2001
| isbn=4-89434-247-2
}}</ref>。
}}</ref>。当時ラスレットは、[[アングロ・サクソン人|アングロサクソン]]が[[工業化]]以前から[[核家族]]であったことを発見していた。続いて核家族が世界に普遍的な家族構造であることを示そうとしていたが、博士論文において家族構造の多様性を見出していたトッドはそれに反対し、ラスレットの下を去った。
 
}}</ref>。当時ラスレットは、[[アングロ・サクソン人|アングロサクソン]]が[[工業化]]以前から[[核家族]]であったことを発見していた。続いており、核家族が世界に普遍的な家族構造であることを示そうとしていたが、博士論文において家族構造の多様性を見出していたトッドはそれに反対し、ラスレットの下を去った。
 
==『最後の転落』==