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=== 碑学派 ===
宋の[[欧陽脩]]の『[[#集古録跋尾|集古録跋尾]]』と[[中国の書家一覧#趙明誠|趙明誠]]の『[[#金石録|金石録]]』によって金石資料が集録されたが、元・明ではこの研究は衰退した。しかし、清代の学問が実証的になって[[考証学]]が興起し、その資料として[[金石文]]が注目された。[[金石学]]を興したのは清初の[[顧炎武]]であるが、これに刺激されて[[トウ石如|鄧石如]]・[[朱彝尊]]・[[鄭燮]]・[[中国の書家一覧#金農|金農]]らが漢碑を習うようになった。金石学に造詣の深い[[中国の書家一覧#阮元|阮元]]は、『[[南北書派論]]』・『[[北碑南帖論]]』を発表し、「法帖の書は翻刻が繰り返されて真意を失っている。これに対し、碑刻の書は真跡に近い。よって書法の正統は[[北碑]]であり、北碑に学ぶべきだ。(趣意)」と主張した。[[#帖学派|帖学派]]の[[包世臣]]も阮元の説に同調し、『[[#芸舟双楫|芸舟双楫]]』を著して碑学が興り、その理論を実践して漢碑や[[北碑]]を学ぶ人たちが現れた。この人たちを碑学派と呼び、清末には[[康有為]]の『[[#広芸舟双楫|広芸舟双楫]]』によってますます碑学派に気勢を加えた。碑学派の人々はみな帖学の素養を持ち、さらに[[篆刻]]にも造詣が深い。他に碑学派の書論として、楊守敬の『[[#平碑記|平碑記]]』などがある<ref name="suzuki_sr"/><ref name="iiyama"/><ref>飯島(辞典) PP..633-634</ref><ref>西川(辞典) P.107</ref>。
 
== 理論体系 ==
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; <span id="芸舟双楫">芸舟双楫</span><span id="安呉論書"></span>
『芸舟双楫』(げいしゅうそうしゅう、『安呉論書』(あんごろんしょ)とも)6巻は、[[包世臣]]撰。論文4巻・論書2巻・付録3巻からなり、『安呉論書』と称するのは、この中の論書の部分を指す。本書は阮元の説を継ぐ北碑派の理論であり、[[#碑学派|碑学派]]の立場をゆるぎないものにして清朝末期の書道界に大きな影響を与えた。本書中、[[逆入平出]]の[[用筆]]を説き、この理論を[[趙之謙]]が実践した。また、[[トウ石如|鄧石如]]の篆書・隷書・楷書を天下第一と称揚し、さらに[[鄭道昭]]の名を広く世に知らしめた<ref name="iiyama"/><ref name="suzuki_tsm24">鈴木(書人名鑑) P.24</ref><ref>飯島(辞典) P.202</ref><ref name="suzuki_tsm283">鈴木(書人名鑑) P.283</ref><ref>西川(辞典) P.8</ref><ref>[[:zh:s:藝舟雙楫|『芸舟双楫』の原文]]</ref>。
 
; <span id="広芸舟双楫">広芸舟双楫</span>