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Kekoyana (会話 | 投稿記録)
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== 国家体制 ==
=== 軍事 ===
武帝の50年にわたる治世は梁に泰平と繁栄をもたらしたが、そのために軍は弱体化した。それでも、梁の建国当初は北魏による侵攻が盛んで梁軍はたびたびこれを撃退しており、梁の国情が安定したのは北魏が[[六鎮の乱]]によって梁への侵攻どころではなくなってからのことである{{Sfn|藤井|2013|p=169}}。自身が武人であった武帝は、新たな寒門武人の台頭を生み出さないために[[九品官人法]]の改革とともに将軍制度の改革に着手し、武人の外号将軍位を細分化して二十二班(元の六品)以下に集中的に配することで昇進を困難にする制度を導入した{{Sfn|藤井|2013|pp=5-6}}。武帝の政策によって、建国初期に功があった将軍は粛清を免れたものの政治の場からは排除され、代わりに宗室や儒教的教養に基づく「賢才主義」によって登用された文官が軍の要職に進出することになった。しかし、建国の重臣が引退した大通年間以降に生じた北魏の混乱の深刻化と分裂に梁も巻き込まれつつあったにもかかわらず、この基本方針を変えなかったことが致命的な失策を招くことになる{{Sfn|藤井|2013|pp=235-236}}。[[:zh:侯景之乱|侯景の乱]]自体も規模はそれほどではなく、兵力では梁軍が圧倒的に優位だったにもかかわらず、首都を攻められて遂には陥落にまで至ったのはその軍制の弱さにあった。軍兵は馬に乗った経験すらなく、馬がいななき跳びはねるのを見ただけで虎が現れたと驚愕する有様だったと伝わる{{Sfn|川本|2005|p=164}}。
 
=== 経済 ===