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当時、作詞者ホフマン・フォン・ファラースレーベンは反体制的な詩集を発行したということで、教鞭をとっていた大学から追放されて各地を放浪していた。その頃まだ[[イギリス|英国]]領だった[[ヘルゴラント島]]へ向かう船に、偶然[[フランス]]と[[イギリス|英国]]の軍楽隊が同乗し、英国国歌『[[女王陛下万歳]]』(''God Save the Queen'')とフランス国歌『[[ラ・マルセイエーズ]]』(''La Marseillaise'')を演奏していた。当時ドイツという国はなく、「[[ドイツ連邦]]」というものがあるだけで、[[国歌]]も統一国家もなかったため、彼は大きなショックを受けたという。
 
そこで、ホフマンはヘルゴラント島での休暇中に、当時は夢物語と言われていたドイツ民族の統一を願ってこの歌詞を作詞し<ref>中世ドイツの詩人[[ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ]] がドイツの女性を、挙措と容姿に優れ、男子を教養高いと褒め称えた、いわゆる「讃歌」(Preislied; Lachmann 56,14: “Ir sult sprechen willekomen”)の影響を受けている。Prof. Dr. [[:de: Ulrich Müller]] (Salzburg): ''Das Weiterleben mittelhochdeutscher Lyrik in der Gegenwart (mit Musikbeispielen) ''. [1988年9月27日、名古屋大学での講演;講演要旨:小栗友一] 日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』21号 1989年 155頁およびJoerg Schaefer, ''Walther von der Vogelweide. Werke.'' Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 1972 (ISBN 3-534-03516-X), S. 428. 参照。なお、「讃歌」の訳は、石川敬三訳 「ワルター 詩集」(Gedichte):訳者代表 呉茂一・高津春繁『世界名詩集大成 ①古代・中世編』平凡社、1960年、295頁。</ref>、直後の9月4日に[[ハンブルク]]の出版社[[フリードリヒ・カンペ]]が初版を出版した。この時、メロディーはハイドン作曲『Gott erhalte Franz den Kaiser(神よ、皇帝フランツを守りたまえ)』を借用した<ref name="frg-embassy"/>。1番における「この世界の全ての存在もの上まわりしこえるドイツの国よ!(Deutschland &#252;ber alles in der Welt)」という言葉には、元々ホフマンの[[ドイツ人|ドイツ民族]]の統一を悲願する意味が込められていたと言われている。
 
=== ドイツ帝国時代まで ===