「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」の版間の差分

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== 解説 ==
マイルスは、1955年夏に[[ニューポート・ジャズ・フェスティバル]]に出演した。それがコロムビアの[[音楽プロデューサー|プロデューサー]]、ジョージ・アヴァキャンの目に留まり、コロムビアとの契約に至った。そして同年10月26日に、同社で最初のレコーディングを行う。しかし、[[プレスティッジ・レコード]]からも残りの契約の履行を要請されたため、1956年5月11日に大がかりなレコーディング・セッションを行う。同年9月10日に本作のためのセッションを終了させた後、10月26日に再びプレスティッジのためにレコーディングした。わずか2回のセッションからの音源が、『ワーキン』『スティーミン』『[[リラクシン]]』『[[クッキン]]』というアルバム4枚として発表されたことから、このプレスティッジ用のセッションは、俗に「マラソン・セッション」と呼ばれた。
 
「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」は[[セロニアス・モンク]]の作曲で、アレンジは旧知の仲の[[編曲家]][[ギル・エヴァンス]]によるものを元にしている。ギルは1983年3月のインタビューで、譜面を渡していないにもかかわらずマイルスがアレンジを正確に覚えていたことに驚いた、というエピソードを明かした。「アー・リュー・チャ」は、マイルスの恩師と言える[[チャーリー・パーカー]]の曲である。「[[オール・オブ・ユー (コール・ポーターの曲)|オール・オブ・ユー]]」は、[[コール・ポーター]]がミュージカル『絹の靴下』のために作った曲で、マイルスはしばしばライブでも取り上げ、アルバム『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』にも、1964年の演奏を収録している。