「白金 (東京都港区)」の版間の差分

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* [[応永]]年間、[[南朝 (日本)|南朝]]の[[国司]]であった柳下上総介が当地を開墾、白金村を開く。(白金村は[[武蔵国]][[豊島郡 (武蔵国)|豊島郡]]と[[荏原郡]]の境界線上にあったため長いこと所属が定まらず、江戸時代は[[入会地]]とされた)
* [[1651年]]([[慶安]]4年)、白金村より白金台町1~11丁目と白金猿町が分離する(現在の港区白金台)。
*[[1867年]]([[慶応]]3年)5月、外国人に牛肉を供給していた[[中川嘉兵衛]]が、江戸[[荏原郡]]白金村に[[屠畜場|屠牛場]]を設立した。日本における近代的屠場の最初だと言われている。
* [[1868年]]([[明治]]元年)、[[東京府]]成立に伴い、白金村は東京府の所属となる。
* [[1869年]](明治2年)、白金氷川社門前などの寺社地を合併して、新たに白金錦町が起立される。