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複数クラブの注目を集める中{{R|nik2003}}、[[2004年]]に大学を卒業し[[FC東京]]に入団<ref name="fct2003">{{cite web |url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=1676 |title=塩田仁史選手(流通経済大学)来季新加入内定のお知らせ |accessdate=2013年8月27日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050929214953/http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=1676 |archivedate=2005年9月29日 }} FC東京 (2003年10月1日)</ref>。同年は、正GK[[土肥洋一]]の[[サッカー日本代表|日本代表]]遠征による不在の穴を埋めるべく[[2004年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]で準決勝までの8試合に起用され決勝進出に大きく貢献。チームの決勝進出の立役者の一人だったが<ref name="field">{{cite web |url=http://www.soccer-m.ne.jp/field/f1165shiota.html |title=インタビュー「FIELD」スペシャル版! 塩田仁史「熱い思いを胸に」 |accessdate=2013年8月27日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081220155131/http://www.soccer-m.ne.jp/field/f1165shiota.html |archivedate=2008年12月20日 }} WEBサッカーマガジン</ref>{{R|maga}}、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]との決勝戦では土肥が先発を務め、さらにMVPも獲得した。その後も引き続き土肥の控えを務める中で[[2005年]][[8月22日]]、右肩関節外傷性[[脱臼]]により全治約半年の重傷<ref>{{Wayback|date=20051210113725|url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=2960|title=塩田仁史選手の検査結果について}}FC東京 (2005年8月22日)</ref><ref>{{cite web |url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=3010 |title=塩田仁史選手の手術結果について |accessdate=2016年2月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051124053700/http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=3010 |archivedate=2005年11月24日 }}FC東京 (2005年9月10日)</ref>。この頃チームメートの[[宮沢正史]]から、出場のチャンスを欲しがる気持ちとフォアザチームの気持ちの両方を持ち続けながら日々の努力を続けることの大切さを説かれ、自身の指針とするようになった<ref>[http://www.soccerdigestweb.com/news/detail4/id=14244 【大宮】塩田仁史インタビュー「持っている」ベテランGKの達観と葛藤 (前編) (4/4)] [[サッカーダイジェスト]] (2016年2月26日)</ref>。
 
[[2006年]][[11月26日]]、J1第33節浦和戦([[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]])にてリーグ戦デビュー。この試合は、浦和の優勝が懸かっていたこと、試合後に功労者である[[三浦文丈]]の引退セレモニーが行われること<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/200611/CK2007052302118435.html 塩田ゴール死守 文丈魂乗り移った!! リーグ戦完ぺきデビュー J1第33節 vs浦和] [[東京中日スポーツ]] (2006年11月27日)</ref>、プロ入り以来目標としてきた土肥のリーグ戦連続出場記録<ref group="注">土肥は前節まで約5[[2000間・159]]の開幕戦以来216試合連続フル出場中であった。後にこの記録は[[曽ケ端準]]によって更新された(2007年~2014年までの間に244試合連続出場)</ref>を阻んでの出場だったことから{{R|maga}}緊張感の高い試合となったが、勇敢なセービングで完封し{{R|field}}浦和の優勝決定を阻止した。
 
[[2007年]]には土肥から正GKの座を奪取。塩田の成長はチームにとって大きな収穫となり<ref name="tcs2008">[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/200801/CK2008011802080351.html 塩田 今季から背番号1] [[東京中日スポーツ]] (2008年1月18日)</ref>、土肥が退団した[[2008年]]からは、正GKとしての期待をかけられ背番号を「1」に変更{{R|tcs2008}}。リーグ戦全試合にフル出場した<ref>[http://data.j-league.or.jp/SS/jpn/team/2008010001_000033_1_W0707_J.html 選手出場記録] Jリーグ (2008年12月6日)</ref>。