「成田空港問題円卓会議」の版間の差分

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|publisher = [[千葉県]]
|accessdate = 2017-03-27
}}</ref>。この時[[衆議院]]議員[[浜田幸一]]が、広い参加を呼び掛ける熱田派と[[千葉県知事]][[沼田武]]と間で斡旋を行った{{sfn|朝日新聞成田支局|1998|ppp=138}}。
 
なお、この動きに対し、「空港絶対反対、徹底抗戦」等の強硬路線を堅持している[[北原鉱治]]が率いる反対同盟北原派や、これを支援する[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]・[[革命的労働者協会(社会党社青同解放派)|革労協狭間派]]等の過激派は、「国と話し合う連中は許さない」「地連協の活動を実力で阻止」「三里塚闘争の裏切り行為を人民の鉄槌によって処断する」などと主張しており{{Efn|シンポジウム開催時に主要な役割を担った熱田派の石井新二は、仲間が襲撃されたときには用意した1億円でやくざの[[ヒットマン]]に復讐させると吹聴して、これを牽制した{{sfn|朝日新聞成田支局|1998|pp=135-138}}。}}{{sfn|朝日新聞成田支局|1998|p=115|pp=135-138}}<ref>{{Cite web|date=|url=https://www.npa.go.jp/hakusyo/h03/h030700.html|title=平成3年[[警察白書]] 第7章 公安の維持|publisher=[[警察庁]]|accessdate=2017-03-05}}</ref>、実際に村山はその後中核派によって自宅を放火されている<ref name=":1">{{Cite book|editor=村山元英|title=民営ハブ空港論|date=|year=1997|accessdate=|publisher=文眞堂|page=288}}</ref>。
 
反対同盟熱田派はシンポジウム参加の条件として、[[強制収用]]申請の放棄、二期工事・B滑走路の白紙、公正な議論を提示し、日本国政府も1991年(平成3年)[[5月28日]]に容認した。政府による条件容認は、反対派にとって驚きを持って受け止められた。