「ヤマハ・EOSシリーズ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
5行目:
 
== 概要 ==
イメージキャラクターとして[[小室哲哉]]を据えた初心者向けの[[シンセサイザー]]であり、YS200〜B500およびBXの音色作成を[[浅倉大介]]が担当した(BXのイメージキャラクターも担当)。開発者として、[[守尾崇]]も携わっていた<ref>キーボードマガジン 2012 SUMMER No.377 P.28</ref>。製品のコンセプトとしては「女の子も使えるシンセサイザー」だったと言われ、マニア向けでなく小室や浅倉を起用することで女性にも門戸を広げる狙いがあったという。ヤマハ主催の「EOS CONTEST」が毎年開催され、こちらの審査委員長にも小室や浅倉が参加していたなど販促にも力を入れており、EOS B2000発売時までの10年でシリーズ累計10万台を出荷した[[ベストセラー]]機種である。
 
B500からB2000Wまでの内蔵音源には、[[TM NETWORK]](TMN)や[[trf]]・[[globe]]等[[小室ファミリー|小室がプロデュースを行ったアーティスト]]で使われている音をシミュレートしたものが内蔵されていた。<!---しかし、[[1994年]]以降に小室がシンセサイザーをヤマハ製からJD-800など[[ローランド]]製のものへ切り替えた。---><!---そもそも小室が初めて買ったシンセサイザーはローランド製。JD-800は1991年の「SPACE WORLD」のコンサートから使用しているので、1994年からいきなり切り替えたわけではない。--->ちなみに、実際のTM NETWORKやTMNのライブではEOSは「MIDI接続のリモートキーボード」という位置付けがなされていたため、「[[T-MUE-NEEDS STARCAMP TOKYO Produced by TM NETWORK|T-MUE-NEED STARCAMP TOKYO]]」「[[TM NETWORK TOUR '88〜'89 CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜|CAROL Tour]]」「[[WORLD'S END Rhythm Red Live|RHYTHM RED TMN TOUR]]」や「[[Tour TMN EXPO]]」ではローランド・[[ローランド・JDシリーズ|JD-800]]やS-550、[[:en:Ensoniq|ENSONIQ]]・VFX-SD、ヤマハ・[[ヤマハ・TGシリーズ|TG77]]やTX816、コルグ・01/W、[[シンクラヴィア]]といったあくまでも音源のリモート用にすぎなかった<!---イメージが強い---><!---客からはそのようなこと分からない。KB Specialなどキーボード雑誌を読まない限り、分からない知識のため、「イメージ」とは言えないため、割愛--->。<!---しかし、実際に、EOS(YS200やB200)に内蔵された音色は特に1988年から1989年の間のテレビ主演のその時の特別なアレンジ演奏では一部だけ音色は使用されている時がたまにあった。---><!---ソースがなく、独自研究の可能性が高いため、割愛--->ヤマハの公式ブログ、「ヤマハシンセ」に2012年6月15日に「オケヒット(TK HIT)」(音色)が使われたことが載っているが、これは直接EOSから出た音ではなく、[[MOTIF]] XFの販促品として配布されたUSBに収録された音源が使われているため、音色はEOSそのものの音ではあるが、[[MOTIF]] XFからの出音である。
 
なお、1988年のYS200 / YS100の新商品発表会では[[森高千里]]がEOSを弾きながら歌っていた<ref>キーボードマガジン 2012 SUMMER No.377 P.29</ref>。その後、小室哲哉がDX7II等を使っていたというつながりがあったところで、小室がイメージキャラクターになった<ref>キーボードマガジン 2012 SUMMER No.377 P.29</ref>。
 
== 歴史 ==
19 ⟶ 21行目:
'''YS200''' <!---シンセサイザー+シーケンサー---><!---下の説明と重複のため、割愛--->
: [[1988年]][[7月1日]]発売<ref>日経産業新聞1988年6月4日4ページ「シンセサイザー=ヤマハ(新製品)」</ref>。EOSシリーズの第1弾。但し海外ではEOSシリーズとしてリリースされておらず、単にYS200として販売されている(後述のB200も同様)[[FM音源]]オンリーの機種。4オペレータ8アルゴリズム、最大同時発音数8音。FMシンセサイザーとしては、珍しくエフェクターと[[ミュージックシーケンサー|シーケンサー]]を搭載した[[ミュージックワークステーション|ミュージック・ワークステーション]]。YS200からキーボードを外したシーケンサー内蔵音源モジュールとして[[ヤマハ・QXシリーズ|TQ5]]が発売されていた。1988年度[[グッドデザイン賞|通産省選定グッドデザイン部門別大賞受賞]]<ref>https://jp.yamaha.com/files/62779_EOS_e63602638357a631f2faa4eeb12fe4e9.pdf</ref>。
; '''YS100'''
: [[1988年]]7月1日発売。YS200の廉価版として発売された機種。YS200との違いはシーケンサーおよびアフタータッチの有無である。
'''B200''' <!---シンセサイザー+シーケンサー+スピーカー---><!---下の説明と重複のため、割愛--->
: [[1988年]]10月発売。音源部はYS200と同等だが、EOS本体上部の左右に丸型スピーカーを搭載した機種。ボディやピッチベンド、モジュレーションホイールが丸みを帯びたデザインに変更されている。TM NETWORKの「[[TM NETWORK TOUR '88〜'89 CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜|CAROL]]」ツアーや小室哲哉ソロの「[[Digitalian is eating breakfast]]」ツアーでも使用されており、TMNへの[[リニューアル]]以降はB500がメインに演奏される印象があるが、リニューアル直後の[[夜のヒットスタジオ]]等で演奏された“[[TIME TO COUNT DOWN]]”では、B200がパフォーマンスで使用されていたことがあった。(ちなみにこの時は、上段に[[ヤマハ・SYシリーズ|SY77]]と下段にB200の二段構え。背面に[[シンクラヴィア]]がセット)全国の小中学校においてよく使用されている。後にボディはそのままに音色を学校教育向けにプリセットし直したSDX2000が教育機関向けに発売された。
; '''DS55'''
: [[1988年]]12月発売<ref>キーボードマガジン 2012 SUMMER No.377 P.29</ref>。シーケンサー無しの4オペレータ8アルゴリズム、最大同時発音数8音のFMシンセサイザー。オートパフォーマンス機能と呼ばれるアルペジエイターを搭載している。プリセット200音色、ユーザ100音色を持ち、デジタルディレイを搭載している。この機種はスピーカーは内蔵していない。乾電池駆動も可能である。
'''B500''' <!---シンセサイザー+シーケンサー+スピーカー+ドラムマシン---><!---下の説明と重複のため、割愛--->
: [[1990年]]12月発売。B200の後継として、フルモデルチェンジされた機種となる。この機種よりデザインを含めて、[[小室哲哉]]や[[浅倉大介]]による積極的なプロデュースが開始される。また、このモデル以降“EOS”ロゴの背面プリントが定番となる。FM音源に[[PCM音源|PCM]]のAWM音源を追加した、[[ヤマハ・SYシリーズ|SY22]]相当の音源によって、リアルなサウンドが再現出来るハイブリッドシンセ。ただしこのタイプの音源は[[DASS音源]]とも呼ばれ、当時の[[ヤマハ]]の[[ポータトーン]]・PSRシリーズに採用されたものと同タイプ。FM音源とは言ってもアルゴリズムでエディットできる機構ではなく、エレピ音などを模した波形=1エレメントとして固定されてしまっており、B500とB700では、これを2系統と生音系のPCM波形2系統とを4エレメントミックスして1ボイスを構築する内容である。こうした背景を考察すると[[ヤマハ・SYシリーズ|SY77/SY99]]等のいわゆる[[RCM音源]]のシンセの自由度と違い(こちらはアルゴリズムを用いエディット可能)、後発のPCMシンセ比べるとその自由度に大した差は無い。この機種よりリズムパターンが内蔵されドラムパートも再現できるようになり、TMNのコピーをこの一台で手軽に再現できる事から爆発的な大ヒットシンセとなった。[[TM NETWORK|TMN]]のアルバム『[[RHYTHM RED]]』で使われた音色をそのままサンプリングしたものを内蔵している。デモソングは『RHYTHM RED』から「SECRET RHYTHM」を採用。浅倉大介がプログラムしたと言われる。「Yeah! SECRET RHYTHM」のコーラスフレーズやレコーディングに使用したスネアドラムをそのままプリセット音色として収録。EOSシリーズ初となる、それまでのFM音源オンリーモデルには無かった、PCM音源ならではの音声サンプリング音色に話題を呼んだ。なお、「RHYTHM RED TMN TOUR」の際に「SECRET RHYTHM」が演奏された時には、[[木根尚登]]が横にセッティングされていたB500のプリセット音色を鳴らしていた。また、TM NETWORK(TMN)の別売り音色カードが豊富に発売された<ref>https://jp.yamaha.com/files/63104_1992_a64900a85b70098c4c8a1858b9a05d59.pdf</ref><ref>https://jp.yamaha.com/files/63083_b500_253ba77cd1a27537db29b36076049d17.pdf</ref>。
; '''B700'''
: [[1993年]][[4月20日]]発売<ref>日経産業新聞1993年3月26日19ページ「ヤマハ、弾けない人もOK、シンセサイザー。」</ref>。音色の内蔵メモリーがB500の約2倍に増強され、ボディーカラーも石目調のパールホワイトに変更された<ref>https://jp.yamaha.com/files/63090_b700_93bf019666ff832ed20bb468249c64cf.pdf</ref>、B500からのマイナーチェンジ機種。発売された時期が小室が[[TRF|trf]]のプロデュースを始めた頃と重なり、音色やリズムパターンがレイブやテクノなどを意識したものに差し替えられた。デモソングはtrfからのミックステイクである。[[TRF|trf]]の8thシングル『[[CRAZY GONNA CRAZY]]』のプロモーションビデオで、[[DJ KOO]]が使用<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=Cq8k__yuAak avex networkによるYouTube公式動画]</ref>、[[シャ乱Q]]のシングル『[[空を見なよ]]』のプロモーションビデオでは、[[たいせい|たいせー]]が使用、また元[[AKB48]]の[[星野みちる]](当時Michiru)も2010年11月10日リリースの『I♡YOUの五文字』のプロモーションビデオで使用<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=uPmAR2Z8MRs Victor EntertainmentによるYouTube公式動画]</ref>していた。小室は“Yamaha & Steinberg EXPO 2011”のステージ上のトークで「僕の中でのひとつの完成形」「(内蔵のPCM音源素材に関して)いろんなトコ(機材)から音(音色)を持ってきた」と発言。初めて買ったシンセサイザーが当機である[[前山田健一|ヒャダイン]]とのジョイントコラボを果たした“[[TOYOTA]] 白黒歌合戦”でのイベントトーク時に「初期の[[globe]]で使った」とも発言している。2013年12月4日には[[iTunes Store]]限定で、当機のみで作曲・編曲された小室哲哉 VS ヒャダインの「22世紀への架け橋」が配信された。プロアマ問わず、さまざまなユーザーから、現在も一定の評価を受けているモデルである。
'''B900''' <!---シンセサイザー+シーケンサー(FDDドライブ対応)+スピーカー+ドラムマシン+DTM---><!---下の説明と重複のため、割愛。PCを前提としていないので、「DTM」とは言えない。--->
: [[1995年]]5月発売。フルモデルチェンジされた結果、FM音源部が廃されPCM系のAWM2音源オンリーになる。[[ヤマハ・QYシリーズ|QY300]]上位互換の[[ミュージックシーケンサー|シーケンサー]]と、SFXバンクを除いて[[XGフォーマット|XG]]に対応した[[ヤマハ・MUシリーズ|MU50]]相当の音源部を持つ。最大同時発音数32。[[ヤマハ・Wシリーズ|QS300]]にスピーカーを取り付けた機種とも考えられる。EOSシリーズとしては初めて[[フロッピーディスク]]ドライブが搭載される。これに関してB900シリーズは工場出荷時の状態に戻す際に、購入時に添付されるフロッピーディスクが必要であり、ファクトリープリセットを呼び出すコマンドは本体に内蔵されていない。2020年現在、ヤマハからこのフロッピーディスク及び同等のデータの供給を受けることができない状態である。ボディーカラーは小室哲哉のディレクションにより、シャンパンシルバーを採用。<ref>https://jp.yamaha.com/files/63100_b900_557415757aaa994cde50ad20496a3a8c.pdf</ref><!--限定版ではブラックも発売された。--><!--限定版の存在が確認できないのでコメントアウト-->この機種も全国の小中学校においてよく使用され、後に音色を学校教育向けにプリセットし直した(音源部はQS300とSFX音色を含めて完全互換)SDX3000が発売された。ちなみに、後継機種は[[ヤマハ・MOTIFシリーズ|MO6S(SDX4000)]]となっている。このモデルから「'''MUSIC PRODUCTION SYNTHESIZER'''」となった<ref>https://jp.yamaha.com/files/63100_b900_557415757aaa994cde50ad20496a3a8c.pdf</ref>。
; '''B900EX'''
: [[1996年]][[12月8日]]発売<ref>日本経済新聞1996年11月15日朝刊17ページ「自宅で小室サウンド、シンセサイザー」</ref><ref>https://web.archive.org/web/19970607205935/http://www.yamaha.co.jp/news/96111401.html</ref>。B900のマイナーチェンジ機種。B900のボディーカラーをダークブルーメタリックに変更し、デモソングの差し替えを行っている。パソコンとの連携を考慮し、接続ケーブルを同梱している(MIDIアダプターケーブル(MDC-01)を付属。使用する際はPCのジョイスティック端子に接続)。発売当初のキャッチフレーズは“THE NET-WORK STATION”<ref>https://jp.yamaha.com/files/63215_b900ex_d8a31dc48b67a736d82261e2a4b1443f.pdf</ref>。
'''B2000''' <!---シンセサイザー+シーケンサー(FDDドライブ対応)+スピーカー+ドラムマシン+DTM音源+サンプラー+大型液晶+操作ノブ+アルペジオ機能---><!---下の説明と重複のため、割愛--->
: [[1998年]][[4月1日]]発売<ref>日本経済新聞1998年2月6日朝刊17ページ「ヤマハ、人気アーティストとシンセサイザー開発。」</ref>。フルモデルチェンジされ、[[ヤマハ・SUシリーズ|SU10]]相当のサンプリング機能や、鍵盤を押すと分散和音を自動演奏するアルペジエイター、音色を変化させられるノブを搭載し、最大同時発音数を64にしたEOSの最高峰とも言える機種。スピーカーを格納するボックス(エンクロージャー)の中にシリーズ史上唯一、吸音材が施されている。プレイのサイズはヤマハシンセサイザー中、最大のものを装備し、シーケンサーは[[ヤマハ・QYシリーズ|QY700]]直系のものを搭載しており、1台で作曲・編曲やオケ作りがしやすくできている。しかし[[ヤマハ・QYシリーズ|QY700]]と違い、電源を切ってしまうとシーケンサーのデータは保存されずに消えてしまうため、フロッピーディスク等にデータをセーブして電源を落とさなければならない。また、『TK PIANO』とネーミングされたピアノ音色があるが、これは前述のローランド・JD-800のプリセットピアノの音をサンプリングしたと言われている([[ヤマハ]]がそれを行ったかどうかは不明)。ただしアマチュアが小室サウンドを模倣するために用いる音色としては、JD-800の代用として十分運用できるクオリティである。様々な機能を詰め込んだプロ用のシンセサイザーと変わらないフラグシップモデル並みの価格設定のため、イージーさが損なわれているとも考えられる。[[XGフォーマット|XG]]対応。MIDIサンプル・ダンプ・スタンダードを受信できてSU10との連携した使用方法も考えられる。ボディカラーは灰色。2007年1月に生産完了したが9年にも及ぶロングセラーとなった。発売当初は[[小室哲哉]]がイメージキャラクターを務めて“TK WORKSTATION”と称され「[[Love again (アルバム)|globe tour 1998 "Love again"]]」でも使用されていたが、1999年5月から浅倉へイメージキャラクターを変更。それに伴い“DA WORKSTATION”とキャッチフレーズも変更され、当時浅倉が組んでいたユニット[[Iceman]]のLIVE会場に展示されたり、LIVEでも予備のマシンとしてステージにセッティングされていたが、実際にLIVEで使用されることはなかった<ref>https://jp.yamaha.com/files/63216_b2000_e94459c5696dccbe9b94601e1b67c7a1.pdf</ref>。なお、浅倉にイメージキャラクターが変更された後に購入したものについても、「TK Piano」や「TK Hit」などの小室を冠した音色名はそのままであり、コミックガイドも小室が表紙のままだった。小室のリクエストでオクターブのアップダウンキーや、音色をコントロールするノブが用意された<ref>キーボードマガジン 2012 SUMMER No.377 P.32</ref>。B700の頃から小室からヤマハにサンプリング機能を入れてほしいと言われており、本機種でそれが日の目を見ることになった<ref>キーボードマガジン 2012 SUMMER No.377 P.32</ref>。前機種B900と違い、初期化ディスクが無い場合は'''電源OFFの状態で[[10キー]]の789を同時に押したまま電源ON'''で工場出荷時に戻る[[隠しコマンド]]がある。
; '''B2000W'''
: [[1998年]]12月発売。B2000のボディーカラーを灰色からパールホワイトに変更し、デモソングを差し替えた機種。限定発売<ref>https://jp.yamaha.com/files/63217_b2000w_498fef6b217df07412de70c35f7c158c.pdf</ref>。“KOMURO TONE”とキャッチフレーズを冠しつつも、小室がシリーズのキャラクターを務めた最後の機種である。
'''BX'''(ビーテン)
231 ⟶ 233行目:
* [[1998年]] - '''YAMAHA EOS SOUND CONTEST '98 FINAL'''
* [[1999年]] - '''YAMAHA EOS SOUND CONTEST '99 FINAL'''
* [[2002年]] - '''YAMAHA EOS SOUND CONTEST 2002'''<ref>キーボードマガジン 2012 SUMMER No.377 P.33</ref>
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}