「小林宏之 (野球)」の版間の差分

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{{by|2004年}}開幕前、当時18歳の女性と入籍。なぜか「交際期間6年」という、事実と異なる話が流布してしまう<ref>{{Cite book |和書|author=鈴木長月 |year=2014 |title=千葉ロッテマリーンズあるある |publisher=[[TOブックス]] |page=112 |isbn=978-4-86472-251-3}}</ref>。このシーズンは先発ローテーションの一角として初めてシーズン通して先発起用され、8月には自身初の[[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]も獲得したが、9勝と2桁勝利に届かなかった。
 
{{by|2005年}}は、[[セ・パ交流戦]]中、打撃では打率3割に3打点、投げては6試合で5勝0敗という成績を残し、チームの交流戦優勝に貢献。初代の交流戦MVPも獲得した。交流戦の対[[読売ジャイアンツ]]戦では登板直前に長男が誕生。本人曰く「睡眠時間3時間ぐらい」というコンディションで粘投を見せ勝利を収め、試合後の[[ヒーローインタビュー]]で長男の誕生に喜びを見せた。レギュラーシーズンでも[[清水直行]]・[[渡辺俊介]]らとともに先発三本柱の一角として活躍し、12勝6敗、[[防御率]]3.30の成績を挙げた。[[2005年のパシフィック・リーグプレーオフ|プレーオフ]]、[[2005年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも活躍し、チームの日本一に貢献した。翌年1月1日に[[TBSテレビ|TBS]]系で放送された『[[最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦|スポーツマンNo.1決定戦]]』では、初参加ながらショットガンタッチで12 m 50 cmを記録し総合6位に入った。
 
[[ファイル:WBC2006 Hiroyuki Kobayashi.jpg|thumb|2006年WBCでの小林]]
{{by|2006年}}は開幕前の3月に開催された[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)]]の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|WBC日本代表]]に選出された。しかし、渡米中に発熱などで調子が上がらず、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック#第2ラウンド|第2ラウンド]]以降は登板することはなかった。
 
シーズンではWBCの影響で足を故障し開幕から出遅れたが、4月26日の対[[オリックス・バファローズ]]戦で初登板、2安打[[完封]]、98球で勝利。その後、シーズン最終登板となった対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦で10勝目を挙げ、2年連続の二桁勝利を記録した。翌年1月1日に[[TBSテレビ|TBS]]系で放送された『[[最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦|スポーツマンNo.1決定戦]]』では、初参加ながらショットガンタッチで12 m 50 cmを記録し総合6位に入った。
 
{{by|2007年}}はシーズンを通して先発ローテーションを守り、自己最多の投球回を達成。13勝を挙げて3年連続の二桁勝利となった。[[2007年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]でも第1ステージ第2戦・第2ステージ第2戦で先発したが、第1ステージでは2回途中6失点の大乱調で敗戦、第2ステージでは足の痙攣が治まらず4回途中に降板した。同年は[[第24回アジア野球選手権大会日本代表|北京五輪アジア予選日本代表]]に選出され、初戦の対フィリピン戦を打者3人、2奪三振で締めた。背番号はロッテでの41を[[稲葉篤紀]]に譲って14を着けた。オフには[[ポスティングシステム]]による[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]移籍の希望を球団に訴えたが認められず、総額2億円+出来高の2年契約を結んだ。