「カルリスタ戦争」の版間の差分

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この戦争の間、マドリードの政府では自由主義的改革が行われた。憲法の制定、[[永代所有財産解放令|教会財産の没収と売却]]、教会の[[十分の一税]]の廃止、封建的領主制度の廃止、営業自由の確立などである。この改革にはブルジョワジーの支持を得る目的があるが、同時に伝統主義者たちの基盤を突き崩すことにもなった。この結果、スペインは近代国家としての体裁を整えることになる。
 
戦争後も「カルリスタ」たちは反乱を起こし、スペインの保守派の一翼を担う存在として、20世紀まで存続するし続けた
 
しかし、1936年にドン・カルロスの男子直系が断絶すると、1713年王位継承法に従えばフェルナンド7世とドン・カルロスの弟であるカディス公[[フランシスコ・デ・パウラ・デ・ボルボン|フランシスコ・デ・パウラ]]の男子直系が王位請求者となる筈であった。しかし、彼の長男である[[フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン|フランシスコ・デ・アシス]]がイザベル2世の[[王配]]であるために[[スペイン第二共和政|共和制宣言]]によって亡命中のイザベル2世系の前国王[[アルフォンソ13世 (スペイン王)|アルフォンソ13世]]が王位請求者になるという矛盾した事態が発生した。このため、アルフォンソとその子孫の王位継承権を認めるか他の候補者を立てるかで「カルリスタ」たちは分裂・衰退していくことになる。
 
== 王位請求者系図 ==