「ジェレミー・アッカード」の版間の差分

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2006年7月21日に[[シェイ・ヒレンブランド]]、[[ビニー・チューク]]との[[トレード#メジャーリーグ|トレード]]で、[[トロント・ブルージェイズ]]へ移籍するも、移籍後初登板となった[[ニューヨーク・ヤンキース]]戦でいきなり2点を失ったのを手始めに、その後も3試合に1回くらいの割合で得点を献上してしまい、ブルージェイズでは27試合で防御率5.97と更に数字を落としてしまった。
 
{{by|2007年}}は前年同様、守護神の[[B・J・ライアン]]が開幕後間もなくに怪我で離脱。開幕から13試合連続無失点の好投を続けていたアッカードは、5月12日の[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デビルレイズ]]戦で初セーブを挙げると、以後クローザーに定着した。6月上旬まで防御率1点台を維持し、一度も防御率が3点台以上になることなくシーズンを乗り切った。結果、[[アメリカンリーグ]]8位となる30セーブを稼ぎ、[[WHIP]]も1.11という高水準をマーク。ジャイアンツ時代の投手コーチだった[[デイブ・リゲッティ|デーブ・リゲッティ]]から教わった[[フォークボール#スプリットフィンガー・ファストボール|スプリッター]]を完全習得し、ゴロを打たせてアウトを稼ぐ投球術を身に付けたことが大きな飛躍の一因となった。
 
{{by|2008年}}も前年の怪我の影響でライアンの復帰が開幕に間に合わなかったため、引き続きクローザーとして開幕を迎えた。しかし、シーズン最初の3登板で3セーブを稼ぎはしたものの、その後の5試合中4試合で失点し、4月13日のライアンの復帰とともに守護神の座を明け渡すことになった。更に5月に右前腕を故障し、戦列を離れることになった。復帰の目途が立った7月には痛みが再発するなど苦しみ、結局16試合に登板しただけで[[故障者リスト#MLB|故障者リスト]]入りしたままシーズンを終えてしまった。