削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
DJConex (会話 | 投稿記録)
1,046行目:
== 社会との関わり ==
=== 立教と映画 ===
* 立教大学は、国内外で活躍する映画監督を始め、多数の映画人を輩出してきた。1970年代から1980年代にかけて、大学の一般教養科目に「映画表現論」の講義があり、映画好きの学生たちは、講師をしていた[[蓮實重彦]](のちの東大総長)に影響を受け、単なるサークル活動ではなく、一定の思想性、党派性を持った活動を行った。サークル活動としては、映画制作サークルである立教SPP(セント・ポールズ・プロダクション)やSPPから独立した自主映画制作サークル「[[パロディアス・ユニティー]]」などがあり、メンバーやその仲間たちと影響を与え合いながら活動を広げていった。<br>一連の映画活動は、立教[[ヌーベルバーグ]]ともいわれ、卒業生たちは、映画(テレビ)監督をして、その後、日本映画に記憶を残す作品を発表する監督たちが多数卒業生の中から生まれている。当時の立教大学には映画関係の学部や学科がなかったにも関わらず、多くの映画人を輩出してきたのは[[蓮實重彦]]の影響力の大きさに加え、蓮實に呼応した学生たちの自主的な活動が生みだしたものといえる<ref>[https://www.rikkyo.ac.jp/closeup/alumni/2021/mknpps000001imt7.html 立教での出会いがその後の人生を決定付けた 映画監督 黒沢 清]</ref>。<br>2006年には、新座キャンパスに現代心理学部・映像身体学科が設置され、映画・映像制作が学べる環境が整っており、気鋭の若手映画監督も生まれている。
 
== 脚注 ==