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DJConex (会話 | 投稿記録)
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== 人物 ==
=== 生い立ち ===
[[三重県]][[桑名市]]生まれ。[[静岡県]][[静岡市]]に移り、[[静岡県立静岡高等学校]]から[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東京大学法学部]]第2類([[公法]]コース)に進学。[[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部#前期課程|文科一類]](当時の法学部・経済学部進学コース)新入生800名のうち、唯一の女性だった。
 
=== 官界 ===
その後、[[1962年]]に[[文部省]]に女性初のキャリアとして入省。女性官僚の草分けの一人として、[[文化庁]]文化部長、文化庁次長、教育助成局長、高等教育局長、文化庁長官、文部省顧問を歴任。次官・長官級としては初の女性の着任であった(その後、労働次官に[[松原亘子]]が就任した)。退官後、[[トルコ|トルコ共和国]]大使や[[国立西洋美術館]]長等を歴任した。2017年から[[静岡県富士山世界遺産センター]]館長。
 
=== 経済界 ===
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=== 政界 ===
[[第1次小泉内閣|2001年小泉内閣]]では民間初の[[文部科学大臣]]として入閣。前任者で[[族議員|文教族]]の[[町村信孝]]の推薦があったといわれる。[[第1次小泉内閣 (第1次改造)|小泉改造内閣]]まで2年半にわたり文科相を務めた。
 
[[2002年]]には、同年施行の新[[学習指導要領]]に基づく「[[ゆとり教育]]」の2002年の新学習指導要領施行に基づく「ゆとり教育」の行き過ぎに対して[[小野元之]]事務次官や遠山文科相はその危機感を共有し、2002年1月に遠山文科相が発表した緊急アピール「学びのすすめ」において、「学習指導要領は最低基準」だとしてそれまで許可されなかった学習指導要領を超える記述が容認されるようになった。学習指導要領や[[臨時教育審議会|臨教審]]の「追いつけ型の教育」から「21世紀型の教育」へ転換すべきであるという流れは変わらずに一貫しているにしても、「国民として必要な基礎的・基本的な内容を重視」する1977年度の学習指導要領内容へ立ち返ったものだとされている。翌[[2003年]]には、[[中央教育審議会]]によって学習指導要領の一部改訂が答申された<ref>『日本の戦後 {{small|下}}』([[田原総一朗]]、[[講談社]]、2005年) P272 ~ P275</ref>。
 
=== 閣僚退任後 ===
[[新国立劇場]]を管理・運営する新国立劇場運営財団にて、[[2005年]]よりから2011年まで理事長を務め、2011年に退任した。また、[[木村尚三郎]]の死去により空席となっていた、トヨタ財団の理事長に[[2007年]]に就任した。2010年には同財団を[[財団法人#公益財団法人|公益財団法人]]に移行させた。
 
== 略歴 ==
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*『こう変わる学校 こう変わる大学』 ISBN 4062123215
*『トルコ 世紀のはざまで』 ISBN 4140806494
*『現代フレッシュマン論』ISBN 9784492220542
 
=== 共著 ===