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== 豊島事件(産廃不法投棄) ==
[[豊島総合観光開発]](豊島開発)が[[1975年]]から16年間にわたり、豊島の西端の海岸近くに[[産業廃棄物]]を違法・大量に[[不法投棄]]問題となった。
 
[[1990年]]に発覚し、当時は戦後最大級の不法投棄事件と言われた<ref name="gaiyo" />。これを受け、翌[[1991年]]には廃棄物処理施設の設置が届出制から許可制となるなど規制が強化されたが<ref name="gaiyo" />、1999年に発覚し国内最大規模と言われた[[三栄化学工業#不法投棄事件|青森県・岩手県境の不法投棄事件]]を防ぐことができなかった<ref name="gaiyo">[https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kankyo/hozen/archive-honbun-1-jiangaiyo.html 県境不法投棄事案アーカイブ本編 1.事案の概要] 青森県環境生活部環境保全課、2014年7月17日更新</ref>。
===背景===
[[File:CSI746-C18-2-L.jpg|thumb|産廃問題の現場。1974年の撮影。まだ処分場の許可は降りておらず、産廃の持ち込みは開始されていない。元々は土砂採取を行った跡地であった。]]
豊島開発の実質的経営者は父親の代より豊島に移住し、豊島家浦[[小字|字]]水ケ浦に28.5[[ヘクタール]]の土地を所有していた。1975年12月に豊島開発は香川県に対して有害廃棄物処理場建設の申請を行った<ref name=watashitachi/>。豊島の住民はただちに反対運動を開始し、1976年に豊島住民1425名の反対署名を香川県へ提出している<ref name=watashitachi/>。1977年に住民らは「廃棄物持込絶対反対豊島住民会議」を結成、3月4日には豊島住民515名が[[香川県庁]]へデモに押しかけ、6月28日には豊島住民が[[高松地裁]]に処分場建設差し止め裁判申し立てを行うなど、激しい反対運動を展開した<ref name=watashitachi/>。処分場予定地に通じる道路に杭を打ち、道路を封鎖するなどの実力行使も行われた<ref name=watashitachi/>。これら反対運動に激昂した経営者は、住民を脅したり暴行傷害事件を起こしたりして逮捕される<ref name=watashitachi/>。経営者逮捕によって旗色が悪くなった豊島開発は、廃棄物処理場建設の明目を「[[ミミズ]]養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理」に変更する<ref name=watashitachi/>。1978年2月1日、香川県知事(当時)の[[前川忠夫]]は、先の処分場建設差し止め裁判の結論を待たずに<ref name=watashitachi/>、ミミズ養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理に限定し処分場建設許可する(廃棄物の処理及び清掃に関する法律の一四条一項)<ref name=hanketu80/>。処分場を許可した前川知事は「迷える子羊も救う必要がある。事業者は住民の反対にあい、生活に困っている。要件を整えて事業を行えば安全であり、問題はない。それでも反対するのであれば、住民のエゴであり、事業者いじめである。豊島の海は青く空気はきれいだが、住民の心は灰色だ」と述べて、処分場の計画に反対する住民を非難し<ref>[http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/~okuda/writings/teshima02.html 豊島産業廃棄物不法投棄事件─その倫理学的検討のための予備考察]</ref>、処分場を許可する方針を貫いた<ref name=watashitachi/>。同年10月19日、「産業廃棄物を豊島に持ち込まない」「豊島の環境を悪化させない」等の条項を定めた高松地裁での処分場建設差し止め裁判の和解が豊島開発との間に成立した<ref name=hanketu80/>。豊島開発が許可された事業内容は汚泥(製紙汚泥及び食品汚泥)、[[木屑]]及び[[家畜]]の[[糞]]の収集運搬業及びミミズによる土壌改良剤化処分業であった<ref name=hanketu80>高松地方裁判所 平成8年(ワ)80号 判決</ref>。
 
===産廃の持ち込み 背景 ===
[[File:CSI746-C18-2-L.jpg|thumb|産廃問題不法投棄事件の現場。1974(1974撮影<br />まだ処分場の許可は降りておらず、産廃の持ち込みは開始されていない。元々は土砂採取を行った跡地であった。]]
豊島開発の実質的経営者は父親の代より豊島に移住し、豊島家浦[[小字|字]]水ケ浦に28.5[[ヘクタール]]の土地を所有していた。1975年12月に豊島開発は香川県に対して有害廃棄物処理場建設の申請を行った<ref name=watashitachi/>。豊島の住民はただちに反対運動を開始し、[[1976年]]に豊島住民1425名の反対署名を香川県へ提出している<ref name=watashitachi/>。[[1977年]]に住民らは「廃棄物持込絶対反対豊島住民会議」を結成、3月4日には豊島住民515名が[[香川県庁]]へデモに押しかけ、6月28日には豊島住民が[[高松地方裁判所]]に処分場建設差し止め裁判申立を行うなど、激しい反対運動を展開した<ref name=watashitachi/>。処分場予定地に通じる道路に杭を打ち、道路を封鎖するなどの実力行使も行われた<ref name=watashitachi/>。これら反対運動に激昂した経営者は、住民を脅したり暴行傷害事件を起こしたりして逮捕された<ref name=watashitachi/>。
 
豊島開発の実質的経営者は父親の代より豊島に移住し、豊島家浦[[小字|字]]水ケ浦に28.5[[ヘクタール]]の土地を所有していた。1975年12月に豊島開発は香川県に対して有害廃棄物処理場建設の申請を行った<ref name=watashitachi/>。豊島の住民はただちに反対運動を開始し、1976年に豊島住民1425名の反対署名を香川県へ提出している<ref name=watashitachi/>。1977年に住民らは「廃棄物持込絶対反対豊島住民会議」を結成、3月4日には豊島住民515名が[[香川県庁]]へデモに押しかけ、6月28日には豊島住民が[[高松地裁]]に処分場建設差し止め裁判申し立てを行うなど、激しい反対運動を展開した<ref name=watashitachi/>。処分場予定地に通じる道路に杭を打ち、道路を封鎖するなどの実力行使も行われた<ref name=watashitachi/>。これら反対運動に激昂した経営者は、住民を脅したり暴行傷害事件を起こしたりして逮捕される<ref name=watashitachi/>。経営者逮捕によって旗色が悪くなった豊島開発は、廃棄物処理場建設の明目を「[[ミミズ]]養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理」に変更する<ref name=watashitachi/>。[[1978年]]2月1日、香川県知事(当時)の[[前川忠夫]]は、先の処分場建設差し止め裁判の結論を待たずに<ref name=watashitachi/>、ミミズ養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理に限定し処分場建設許可するした(廃棄物の処理及び清掃に関する法律の一四条一項)<ref name=hanketu80/>。処分場を許可した前川知事は「迷える子羊も救う必要がある。事業者は住民の反対に生活に困っている。要件を整えて事業を行えば安全であり問題はない。それでも反対するのであれば住民エゴであり事業者いじめである。豊島の海は青く空気はきれいだが、住民の心は灰色だ」と述べて、処分場の計画に反対する住民を非難し<ref>[http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/~okuda/writings/teshima02.html 豊島産業廃棄物不法投棄事件─その倫理学的検討のための予備考察] [[南山大学]]{{リンク切れ|date=2021-09}}</ref>、処分場を許可する方針を貫いた<ref name=watashitachi/>。同年10月19日、「産業廃棄物を豊島に持ち込まない」「豊島の環境を悪化させない」等の条項を定めた高松地裁での処分場建設差し止め裁判の[[和解]]が豊島開発との間に成立した<ref name=hanketu80/>。豊島開発が許可された事業内容は汚泥(製紙汚泥及び食品汚泥)、[[木屑]]及び[[家畜]]の[[糞]]の収集運搬業及びミミズによる土壌改良剤化処分業であった<ref name=hanketu80>高松地方裁判所 平成8年(ワ)80号 判決</ref>。
 
=== 産廃の持ち込み ===
[[File:SI832X-C8-1-M.jpg|thumb|写真左端が産廃廃棄現場(東京ドーム6個分の面積)。写真右上には家浦の集落と港が見える。港から写真中央を斜めに走る未舗装の狭い山道を、10トンダンプが往復して産廃を運び込んだ。]]
[[File:SI832X-C8-1-L.jpg|thumb|敷地の全景。]]
[[File:SI832X-C8-1-LL.jpg|thumb|敷地の西端の拡大。いくつかの建屋が見える]]
 
豊島開発は、許可を得た直後より豊島の西端の22ヘクタールの土地に<ref name="watashitachi">下羽友衛『私たちが変わる、私たちが変える環境問題と市民の力: 環境問題と市民の力学』リサイクル文化社 ISBN 978-4795259218</ref>廃[[タイヤ]]を敷地内に持ち込み[[野焼き]]するようになる<ref name=hanketu80/><ref name=watashitachi/>。[[1980年]](昭和55年)頃からは、廃[[プラスチック]]、紙くず、金属くずの混合物である[[ラガーロープ]]、[[廃油]]を持ち込むようになり、埋設や野焼きをするようになる。[[1983年]](昭和58年)頃からは、自動車解体で発生する廃プラスチック類である[[シュレッダーダスト]]、ラガーロープ、廃油及び汚泥等の様々な有害廃棄物を大量に搬入し、同所でラガーロープやシュレッダーダストに廃油をかけて野焼きしたり、埋め立てたりするようになる<ref name=hanketu80/>。豊島への産廃の持ち込みは秘密裏に行われたものではなく、定期航路の[[フェリー]]に産廃を満載した[[ダンプカー]]や[[タンクローリー]]を乗船させて豊島の家浦港から上陸し狭い島内の道路を産廃をまき散らしながらの持ち込みであった<ref name=hanketu80/>。使用された搬入車両は7-台から8台あり、これらが島内の狭小路を一日に何十回と往復させた。[[1984年]](昭和59年)頃からは廃棄物を運搬するための改造フェリー([[宇高連絡船]]を入手して改造したもの)を就航させ、このフェリーに積載された産業廃棄物500トンを豊島家浦港で10トンダンプカーに積み替えて運搬するようになる<ref name=hanketu80/>。

これらの搬入作業によって定期フェリー内部は汚染され、港や道路に産業廃棄物を落下飛散させ、産業廃棄物から発生する悪臭を撒き散らされ、騒音及び振動並びに歩行者の通行が危険な状態が発生した<ref name=hanketu80/>。住民は香川県に対して事業者の違法行為を通告し、廃棄物の持ち込み中止と指導監督要請を繰り返したが、香川県は中止命令を出さなかった<ref name=watashitachi/>。1984年4月、住民は香川県に対して公開質問状を提出する。また香川県は118回の立ち入り検査を実施するも、廃棄物処理ではなく金属回収事業であり違法性はないという見解を示した。立ち入り検査に来た県職員は豊島開発に対して違法な廃棄物処理を止めるように指導するどころか、それを知りながら逆に「法の抜け穴」を豊島開発に指南していたことが[[兵庫県警察|兵庫県警]]の刑事公判記録に記載されている<ref name=watashitachi/><ref>[https://www.niji.or.jp/chirorin/MENU/TESIMA/SAKEBI/sakebi-1.html 有害産業廃棄物をめぐる国の公害調停 やすらぎをかえして!] 自然食品と有機野菜の専門店 ちろりん村(香川県[[高松市]])</ref>。

[[1987年]]頃には野焼きによる黒煙や煤が風向きによっては島全体を覆い、激しい悪臭を放つとともに島内に[[喘息]]患者が多発するようになる<ref name=hanketu80/>。持ち込まれた廃棄物は豊島開発の敷地から溢れ、近隣の他の地権者の敷地にまで及んだ<ref name=hanketu80/>。廃棄物の大半はシュレッダーダストであり、地中に[[地層]]状に厚く広範囲に埋設された<ref name=hanketu80/>。豊島は「ゴミの島」「毒の島」として全国的に知られるようになり、風評被害によって豊島を訪れる釣客、観光客などが激減したほか、地場産業であるミカン栽培ノリ養殖では「豊島」の名称を冠して生産物を販売できなくなり<ref name=hanketu80/>、[[ハマチ]]養殖は廃業せざるえなくなった<ref name=hanketu80/>。産廃場を認可した前川忠夫は1986年に県知事を退職し、[[平井城一]]が知事を引き継いだが、結局香川県は豊島開発を野放しにし、対応することはなかった。
 
=== 摘発 ===
[[1990年]]11月16日に[[兵庫県警察|兵庫県警]]が[[廃棄物の処理及び清掃に関する法律]]違反の容疑で豊島開発を強制捜査する。この問題は、[[RSK山陽放送|山陽放送]]が[[スクープ]]として報道した。その後も豊島の住民を取材し、豊島総合観光開発の違法な産廃処分を黙認してきた香川県側の姿勢を追及した。香川県の幹部は、兵庫県警が強制捜査を行ってから初めて現地視察を行う有様だった。同年12月、香川県は豊島開発の処理業許可を取り消しするとともに、法的に問題ないという見解を不法処分だったと改め、豊島開発に廃棄物を撤去するよう措置命令を出した。香川県の調査では、現場の地中より、から環境基準の数十倍から数百倍の[[水銀]]、[[ヒ素]]、[[PCB]]、[[鉛]]、[[ダイオキシン]]などが検出され<ref name=watashitachi/>、[[地下水]]の[[水質汚濁|汚染]]や[[汚染]]が懸念された<ref name=watashitachi/>。
 
=== 裁判 ===
[[File:CCG951X-C12-17-L.jpg|thumb|1995年の撮影。産廃の持ち込みは停止したが、本格的な撤去は開始されていない状態。]]
[[1991年]]7月18日、[[神戸地方裁判所]]姫路支部において、豊島開発が[[罰金]]50万円、経営者が[[懲役]]10月([[執行猶予]]5年)の判決を受ける。高松地裁での裁判では、豊島開発の実質的な経営者は「シュレッダーダストは金属回収を目的として買い取っていたものであり産業廃棄物には該当しない」と抗弁したが<ref name=hanketu80/>、高松地裁は「シュレッダーダストに含まれる金属成分は0.8-7.3%に過ぎず、回収可能な金額は微々たるもので実質的には産業廃棄物である。豊島開発は形式上はシュレッダーダストを買い取る形を偽装しているが、別に業者に回収費用を請求しており、業務実態は産業廃棄物の回収業であった」と判断し、豊島開発側の主張は「脱法の口実」に過ぎないとし、また数々の偽装工作を重ねていたことを指摘した<ref name=hanketu80/>。

また豊島開発は、1978年の住民側と豊島開発との間で結ばれた和解条項には「産業廃棄物の除去」に関する具体的な記載が存在しないのでため、和解条項の解釈上廃棄物の除去義務は発生しないと主張したが、これについても「1978年の和解条項を一般的に解釈すれば、産業廃棄物を持ち込まないという趣旨は明らかであり、持ち込まれた産廃の撤去義務を負うと判断するのが妥当」と判断した<ref name=hanketu80/>。また、汚染された土壌や、[[大気汚染]][[水質汚染]]、住民の精神的苦痛や風評被害についてもその責任を否認したが、これら主張も裁判所は否定した。

[[1997年]]に豊島総合観光開発は破産し、豊島に不法投棄された産廃は税金で処理されることになる。
 
=== 香川県との軋轢===
豊島開発が摘発された後も、住民側と香川県側は事後処理や責任問題についての争いが以後7年間続いた。香川県の姿勢に不信感を強めた住民側は[[1993年]]11月11日に、産廃の撤去と住民一人当たり50万円の[[慰謝料]]を香川県と排出業者と豊島開発に求めて国の[[公害等調整委員会|公害調停]]を行う<ref name=watashitachi/>。これに対して香川県は「産廃の量は膨大で撤去は困難である。また香川県には責任はない」という態度で臨んだ<ref name=watashitachi/>。また排出業者は、処分を依頼した業者がどう産廃を処分するかは責任外とし、当の豊島開発は撤去に応じる姿勢を示さなかった<ref name=watashitachi/>。
 
こうした香川県の対応に憤慨した住民は、香川県庁前で「立ちんぼ」による抗議活動を[[1992年]]12月20日から[[1994年]]5月31日まで続けた。ようやく1994年になって、[[公害等調整委員会]]は2億3600万円をかけて本格的な実地調査を行った<ref name="watashitachi" />。その結果、豊島に投棄された廃棄物は約56万[[トン]]と推定され、7つの処理案が提示された<ref name="watashitachi" />。費用は処理案によって違うが、61億円から191億円が必要とされ、年月も2年から10年かかるとされた<ref name="watashitachi" />。
 
[[1996年]]6月、公害等調整委員会は「香川県の誤った監督指導体制が、事態をここまで悪化させた要因である」と指摘し、香川県の責任を認めるとともに自治体として踏み込んだ対応をするように求めた<ref name="watashitachi" />。こうして香川県の姿勢が変わったのは[[1997年]]1月になってからである<ref name="watashitachi" />。その背景には、処理費用に対して当時の[[内閣総理大臣]][[橋本龍太郎]]がその半額を国から援助するという判断があったからだとされる<ref name="watashitachi" />。これにより費用負担を拒否してきた香川県は、ようやく残り半分の処理費用を負担する判断を下す<ref name="watashitachi" />。
 
1997年4月には「住民が長期にわたり、不安と苦痛を受けた」という文章を盛り込んだ中間合意案が公害等調整委員会によって作成されたが、香川県「不安と苦痛」という部分に難色を示し削除を求めたため1か月後に公開された文章では該当部分が削除された<ref name="watashitachi" />。それを知った豊島の住民は改めて香川県の対応に落胆することになる<ref name="watashitachi" />。この中間合意案では、県が責任を認めやすいように、住民側が県に対する[[損害賠償|賠償]]を放棄した背景があった<ref name="watashitachi" />。香川県はこの合意案を受諾する方針を表明したが、住民側は「県の責任が明確にされていない」などとして合意案の変更を公害等調整委員会に迫ったが、委員会が応じることは無かった。このため住民側は、期限切れで中間合意をまとめることが不可能になることを恐れ、この合意案を不本意ながら受け入れ<ref name="watashitachi" />、香川県の責任については別の運動で追及していく方針とした<ref name="watashitachi" />。中間合意後も香川県は住民への謝罪を拒み、謝罪を求める住民との間で調停は再び膠着状態となった<ref name="watashitachi" />。
 
[[1998年]]9月、[[前川忠夫]]に続いて知事に就任していた[[平井城一]]が退き、[[真鍋武紀]]が知事に就任した<ref name="watashitachi" />。真鍋は当選前から、県の謝罪表明には「検討の上で対応する」と慎重な姿勢をとっていた<ref name="watashitachi" />。当選後の1998年10月の代表質問でも「中間合意で香川県は既に遺憾の意を表明している」と述べて、既に謝罪済みで解決しているという見解を表明した<ref name="watashitachi" />。
 
[[1999年]]12月12日、[[総理府]]で行われた1年半ぶりの調停では、真鍋知事は改めて住民らの謝罪要求には応じないと回答し、産廃処理に必要な工事の着手には、公害等調整委員会の最終的な合意が不可欠であり、最終合意なしに工事には着手しない考えを表明した(技術委員会は、現場での海洋汚染の可能性もあり、一刻も早い工事着手を県に求めていた)<ref name="watashitachi" />。
 
[[2000年]]、香川県の担当職員の処分が行わる。また、真鍋知事が豊島を訪れ住民に謝罪した。開催された[[調停]]の回数は2000年までに37回を数えた。
 
=== 産廃の処分 ===
[[File:Tesima-taiyo022-01.jpg|thumb|産業廃棄物を豊島の廃棄現場より直島の処理施設へ輸送する専用の特殊コンテナ]]
豊島の産廃は、当初豊島の現場の海岸線を補強したうえで、現地に処分プラントを建設して1200[[セルシウス度|度]]で焼却処分する方針であったが<ref name=watashitachi/>、最終的に香川県[[直島町|直島]]にある[[三菱マテリアル]]の施設へ移送し、14年間にわたり処理され続けた。これは直島の同事業所が直島町の基幹産業であったものの、日本国内における[[銅]]の慢性的な供給過剰等によって事業廃止の可否を含めて検討中の状態にあったことが関係している<ref name=torasawa201203/>。つまり、従来の銅の回収事業の代わりに、豊島の廃棄物からの金属回収を新事業として手掛けることになった<ref name=torasawa201203/>。
 
処理の具体的な方法の検討のために、「学識経験者からなる技術検討委員会」が設置され検討された結果、直島に中間処理施設を建設し、豊島から掘り出した廃棄物を海上輸送して処理する事業計画を直島町議会に提案した。直島町長は1999年9月、[[公害]]が無い状態で処理されるなら町の活性化に繋がるとして、この提案の受け入れを表明した<ref name="torasawa201203">[https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2012pdf/20120308091.pdf 寅澤一之 「環境に配慮し、事業者と連携した地域振興~香川県直島町を例として~」] 参議院 第三特別調査室『立法と調査』2012.3 No.326](2019、2012年3月、2019年9月3日閲覧</ref>。
 
こうして[[2003年]](平成15年)よりからようやく直島での処理が開始された<ref name="torasawa201203" />。月平均5000トンの産廃が焼却処理され、残った[[スラグ]]から有価金属の回収と有害金属の除去が行われ、最終的に残ったスラグは香川県内の公共工事で使用される[[コンクリート]]の骨材として利用された<ref name="torasawa201203" />。回収される有価金属は、[[金]]、[[銀]]、銅、[[鉄]]、[[アルミニウム]]などで、その他に[[石膏]]([[セメント]]原料)、[[濃硫酸]](焼却ガス中の[[硫黄酸化物]]より回収)なども回収された<ref name="torasawa201203" />。これらの売却益は香川県に納付され、県の処理事業の一部に充当された<ref name="torasawa201203" />。
 
豊島の[[不法投棄]]現場では一般市民の立入が禁止され、[[重機]]による産廃の掘り出しと、直島に産廃を移送するための梱包作業が[[2017年]]3月まで行われていた。移送は高気密性の専用[[海上コンテナ]]と、これを積載して輸送するダンプカーを直島まで海上輸送するためのフェリータイプの廃棄物専用輸送船を使って行われた。
 
産廃物の量は、香川県が2017年1月に88万8千トンとする最終的な推計値を発表した<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/articles/20170121/k00/00m/040/057000c |title=不法投棄の産廃量ほぼ確定 88.8万トン |newspaper=『[[毎日新聞]]』|date=2017-01-21|accessdate=2017-01-21}}</ref>。しかし搬出期限が迫る中、その後の精密測量調査で次々と新たな産廃が発掘され、最終的な産廃量は当初の推定50万トンを大きく上回る91万2373トン<ref name="asahi2017710">{{Cite news | title = 豊島産廃無害化処理完了の式典 直島 | newspaper = 『[[朝日新聞]]』 | date = 2017-07-10 | author = | publisher = 朝日新聞社 | page = 朝刊 香川全県版 }}</ref>、[[体積]]61万6525[[立方メートル]]にも達し、当時国内最大級の不法投棄事件となった<ref name="toyosima300" />。2017年3月末までに費やされた公費も、約727億円にも及んだ。撤去量が当初の推定よりも増えた一因は、産廃から漏れ出た[[ベンゼン]]などにより[[土壌汚染|汚染された土壌]]も除去したためであり、れでもなお地下水の汚染問題が残っている<ref>[https://mainichi.jp/articles/20170727/ddm/005/070/002000c 【記者の目】香川・豊島の産廃問題=植松晃一(高松支局)進まない地下水浄化]『毎日新聞』朝刊2017年7月27日</ref><ref>[http://www.asahi.com/articles/DA3S13095891.html(360゜)豊島「再生」、埋まらぬ溝 住民の思い「元の里山に戻して」]『朝日新聞』朝刊2017年8月21日</ref>。その後、公害調停に基づく撤去事業の期限(2017年3月末)後の[[2018年]]にも、深く埋められていたなどの理由で未発見だった廃棄物300トンが新たに発見されている<ref name="toyosima300">[https://mainichi.jp/articles/20180510/ddn/041/040/012000c 「豊島 続く産廃退治/撤去終了後 300トン確認/香川県再調査 業者が深く掘り投棄か」]『毎日新聞』朝刊2018年5月10日(社会面)</ref>。
 
[[2020年]]時点、不法投棄跡地は土がむき出しの状態になっており、汚染地下水が海に漏れ出すのを防ぐ遮水壁が地中に設置されている。住民会議は[[2019年]]10月、遮水壁を撤去して自然の力で海岸の環境を修復することを求める要望書を香川県へ提出した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20200607/ddm/041/040/060000c 「美しい豊島 少しずつ/住民と香川県 公害調停20年/産廃撤去 なお地下水汚染」]『毎日新聞』朝刊2020年6月7日(社会面)2020年6月9日閲覧</ref>。専門家によるフォローアップ委員会(委員長・[[早稲田大学]][[名誉教授]]永田勝也)は[[2021年]]8月19日、地下水浄化のめどがついたとして浄化施設を[[2023年]]3月で停止される案を了承したが、その後も汚染水を池にめるなど作業は続く見通しで「廃棄物対策豊島住民会議」も監視継続を求めている<ref name="毎日20210820"/>。
 
2017年7月22日から[[サンポートホール高松]]で、「豊かな島よみがえれ 産業廃棄物不法投棄と闘った豊島の42年展」が開催された<ref>[http://teshima.ne.jp/wordpress/?p=374 「豊かな島よみがえれ 産業廃棄物とたたかった豊島の42年展」] 廃棄物対策豊島住民会議(2017年7月18日投稿)2020年6月9日閲覧</ref>。
 
産廃処理された後の跡地に残された[[豊島開発の事務所だった2階建ての古い建物を使用し、反対運動を続けた住民らが手作りで「豊島のこころ資料館]] (」(豊島住民資料館)が建てられ)を開き産廃不法投棄問題の資料展示を行っている<ref>[https://blog.rnb.co.jp/commentary/?p=1247 瀬戸内の芸術の島『忘れない記憶』] ニュースの深層 [[南海放送]]解説室、2019年6月4日</ref>
 
== 豊島廃棄物等処理事業等(関連資料) ==