「スターリングラード攻防戦」の版間の差分

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=== 総攻撃と市街戦突入 ===
[[画像:Streetfight Stralingrad01.jpg|thumb|廃墟で戦うソ連兵]]
9月13日午前6時45分、第6軍は11個師団の兵力で、砲爆撃とともに、ツァリーツァ渓谷から市街地への突入を開始した。攻撃の重点が置かれたのは、官公庁やウニヴェルマーク・デパート、2つの駅とフェリー乗り場のある市街地南部だった。<!-- ソ連は同日増援部隊の準備が整うまで、ドイツ軍をスターリングラードに釘付けにすることを決定した(他説として、ドイツ側の指導者であるヒトラーが「ソ連の指導者の名前を冠した都市」に目を付けたという説もある。また、ソ連側の指揮官が「ソ連の指導者の名前が付いた都市であり、それを死守しなければ、国民の士気に影響する」という考えがあったという説もある)。-->ヒトラーは当初、この戦闘は比較的早期に終結すると予想していたが、爆撃と火災により瓦礫の山と化した廃墟を効果的に使って防衛するソ連第62軍の抵抗に遭う。建物一つ、部屋一つを奪い合う市街戦は冬季にまでもつれ込んだ。ドイツ軍がコンクリートの塊となった廃墟に突入しても、ソ連兵は上階で頑強に抵抗し、完全に占拠しても地下道や下水道を使って逆襲をかけてきた。地下壕は発見されるや否や、負傷兵や避難民ごと火炎放射器で焼き尽くされたが、後方の建物や窪地、瓦礫の中にはソ連の狙撃兵がいつの間にか入り込んだ。狙撃兵は、なるべく高い階級の敵の将校に照準を合わせ、あるいは伝令や斥候、補給要員、工兵を集中的に狙った。こうした狙撃兵の中からは、シベリアから派遣されたパチェク大佐の第284狙撃師団に属し、149人のドイツ軍将兵を射殺して[[ソ連邦英雄]]となる[[ヴァシリ・ザイツェフ]]のような人物も現れる<ref group="注釈">ザイツェフは映画『[[スターリングラード (2001年の映画)|スターリングラード]]』のモデルとなった。彼の狙撃銃は市内の戦争記念館に保管されている。</ref>。
 
あるドイツ軍将校の手記にはこう記されている。