「ユージン・スミス」の版間の差分

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=== 「入浴する智子と母」公開是非をめぐる議論 ===
スミス夫妻が水俣へ移住した年の1971年12月に撮影された、[[胎児性水俣病]]の少女・上村智子(1956年 - 1977年<ref>{{コトバンク|上村智子}}</ref>)を母親が抱いて入浴させている写真「入浴する智子と母([[:en:Tomoko and Mother in the Bath|Tomoko and Mother in the Bath]])」は、ユージンの『水俣』の写真の中でも特に名高い1枚として知られる。やはり水俣病患者を撮り続けて来た[[桑原史成]]が、白旗を揚げた一枚でもある<ref>[https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211005/k10013290071000.html News Up:もう二度と見られない笑顔]NHK 2021年10月5日</ref>。ユージンはアイリーンとの連名で、『ライフ』1972年6月2日号に「Death–Flow from a Pipe: Mercury Pollution Ravages a Japanese Village」(排水管から垂れ流されるの排出 ―日本の村を破壊する水銀中毒―)と題するフォトエッセイを寄稿。「入浴する智子と母」はこのときに初めて公表された{{refnest|group= "注" |『ライフ』に掲載された 「入浴する智子と母」は大きな話題となるが、雑誌が発刊されたちょうどその頃、1972年6月5日から同月16日にかけて、スウェーデンの[[ストックホルム]]で「[[国際連合人間環境会議]]」が開催された。同会議には医師の[[原田正純]]、環境学者の[[宇井純]]、水俣病患者の濱元二徳、坂本フジエ、坂本しのぶらが出席。また、写真家の[[塩田武史]]が患者家族に同行取材した<ref>{{ cite news |author=奥正光 | title = 熊本)写真家・塩田さんの作品展 水俣病資料館 | newspaper = 朝日新聞 | date = 2020-01-31 | url = https://www.asahi.com/articles/ASN1T360JN1TTLVB002.html | accessdate = 2021-10-06}}</ref>。水俣病の存在はニュースなどにより世界に広まり、これがきっかけとなって各国は水銀の調査を始めた<ref>{{Cite book|和書 |author=[[原田正純]]編著 |title=水俣学講義 |publisher=日本評論社 |pages=239-240 |date=2004-3-31 |isbn= }}</ref><ref>[https://www3.kumagaku.ac.jp/minamata/wp-content/uploads/2017/09/cda4f7fcbd4979ac02f020d9ed060521.pdf 第16期 水俣学講義「胎児性・小児性水俣病患者~被害を訴え続ける~」]熊本学園大学水俣学研究センター</ref>。}}。
 
「[[ピエタ]]」を思わせる構図の母子像は、写真展や水俣病についての書籍でもたびたび紹介されてきたが、遺族である両親とアイリーンの話し合いにより、[[1998年]]6月、「アイリーン・アーカイブ」では今後は同写真の使用を許諾しない方針であることが発表された<ref name=":0" /><ref name=":3" /><ref name=":6" />。このため、ユージン生誕100周年を記念して[[2017年]]11月25日から[[2018年]]1月28日まで東京都写真美術館で開催された「生誕100年 ユージン・スミス展」<ref>{{Cite web|title=生誕100年 ユージン・スミス写真展|url=https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2927.html|website=[[東京都写真美術館]]|accessdate=2020-09-25|publisher=|date=2017-11-25}}</ref>でもこの有名な写真は展示されることはなかった。
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また水俣でスミス夫妻と寝食を共にしながら、ユージンの助手を務めた[[石川武志]]は「(写真が)封印されたことがすごく残念だ。普遍性をもつこの母子像は人類にとって失ってはならない芸術作品だ。ユージンが生きていたら展示や掲載を望むと思う」と語り、アイリーンによるこの「封印」に強く反対した<ref name=":0" />。
 
映画『[[MINAMATA-ミナマタ-]]』では「封印」された「入浴する智子と母」が使用されており、アイリーンは映画を見た後で「この写真を大切にするなら今何をするべきかと考えた時、『本物の写真を見せることだ』という結論」に達したと述べ、再刊する写真集で「入浴する智子と母」を含めた、上村智子の写った写真を掲載する意向を示した<ref name="bf"/>。
 
=== 工場廃液の写真「排水管からたれながされる死」 ===