「昭和三大馬鹿査定」の版間の差分

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このように、ポスト竹下を狙う安倍晋太郎と渡辺美智雄の対立は、整備新幹線着工をめぐる問題で浮き彫りになり、前年に自民党が足並みをそろえて着工凍結の解除を迫ったときとは、大きく様相が変わっていた<ref name="政治新幹線を発車させた男たちp71">{{harvtxt|政治新幹線を発車させた男たち|1994|pp=71}}</ref>。
 
一方で、[[1987年]][[12月13日]]、運輸大臣[[石原慎太郎 (政治家)|石原慎太郎]](当時)は[[リニア実験線|宮崎実験線]]で[[超電導リニア|リニアモーターカー]]に初めて試乗した<ref name="朝日新聞19871214-N-P12">{{Cite news | title = 運輸相、リニア実用化に前向き| newspaper = [[朝日新聞]](夕刊) | location = 東京 | page = 12 | date = 1987-12-14 }}</ref>。この時の記者会見で、「50キロなり100キロなりの実験線など、実用化に向けた予算措置をする時期に来ているのではないか」と述べ、昭和六十三年度予算案にリニア関係調査費などを盛り込む考えを明らかにした<ref name="朝日新聞19871214-N-P12"/>。その後、ヨーロッパで[[磁気浮上鉄道]]の開発状況の視察を行い<ref name="朝日新聞19880122-M-P30">{{Cite news | title = ブタ小屋とトリ小屋の間ではリニア技術、世界に映えぬ| newspaper = [[朝日新聞]](朝刊) | location = 東京 | page = 30 | date = 1988-01-22 }}</ref>、整備新幹線よりもリニアモーターカーの方に強い興味を持っていた<ref name="政治新幹線を発車させた男たちp85">{{harvtxt|政治新幹線を発車させた男たち|1994|pp=85}}</ref>。また[[12月23日]]、自民党の[[松永光]]政調会長代理は「新幹線は[[1950年代の日本|三十年前]]の、[[高速道路]]も[[空港|エアポート]]も無かった時代{{efn|[[羽田空港]]や[[大阪国際空港]]は敗戦により1958年まで接収されていた。[[東名高速道路]]が出来たのが1969年}}の発想だ。二十一世紀はリニアの時代。整備新幹線は完成した時にはもう古いものになる。二十一世紀を考えなくてはならないのに、そうした将来計画が運輸省には何もない」(原文ママ)と発言<ref name="読売新聞19871224-M-P4">{{Cite news | title = 整備新幹線、推進へ気勢 本格着工、当初予算ではムリ | newspaper = [[読売新聞]](朝刊) | location = 東京 | page = 4 | date = 1987-12-24 }}</ref>、将来のグランドデザインなき整備新幹線着工への議論の不毛さを指摘し、暗に整備新幹線促進派を批判した<ref name="政治新幹線を発車させた男たちp87">{{harvtxt|政治新幹線を発車させた男たち|1994|pp=87}}</ref>。
 
=== 経済界の状況 ===
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この発言について、促進派からの申し入れに対して、宮澤喜一大蔵大臣と西垣昭主計局長は「あの発言は適当でない」とした<ref name="大蔵省主計局p229"/>。
 
整備新幹線の担当である運輸大臣[[石原慎太郎 (政治家)|石原慎太郎]]は、この発言のあった翌日の閣議後の記者会見において、「各省それぞれの言い分があるだろうが、大蔵省よりこっち(運輸省)の方が先見の明がある場合だってある」と整備新幹線担当大臣として大蔵省に反論した<ref name="毎日新聞19871224-M-P2-3">{{Cite news | title = | newspaper = [[毎日新聞]](夕刊) | location = 東京 | page = 10 | date = 1987-12-24 }}</ref>{{efn|「また整備新幹線が戦艦大和・武蔵と同列に扱われたことについて石原大臣は『(野球でも)試合に負ければ、内野が悪い、キャッチャーが悪いと(結果論を)いうものだ』と不快感を示した」とも報じられた<ref name="毎日新聞19871224-M-P2-3"/>。}}。
 
=== 大蔵省内での対応・反応 ===
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== 整備新幹線着工問題へのその後の影響 ==
=== 関係閣僚会議 ===
この発言のあった翌日の[[12月24日]]、整備新幹線関連の大臣による閣議が開かれた。ここで、宮澤喜一大蔵大臣は、「膨大な施設をただで貸し付けるのは問題だ」と発言<ref name="毎日新聞19871224-N-P1">{{Cite news | title = 整備新幹線で閣僚会議 慎重論体制占める| newspaper = [[毎日新聞]](夕刊) | location = 東京 | page = 1 | date = 1987-12-24 }}</ref>。[[梶山静六]]自治大臣は「沿線自治体には過疎地域が多く、一割の拠出は大変だ。地方交付税で措置しろといっても、一部地域への巨大な交付は公平原則に反する」と述べ<ref name="毎日新聞19871224-N-P1"/>、整備新幹線建設に地方自治体の財源負担は無理であるとの見解を示していた。[[高鳥修]]総務庁長官は「国鉄改革をやったのだからJR各社に(赤字という)悪影響が出るのは避けて欲しい」<ref name="毎日新聞19871224-N-P1"/>と述べた。また整備新幹線担当の[[石原慎太郎 (政治家)|石原慎太郎]]運輸大臣も「運輸省は行政哲学として高速鉄道網はあくまで必要と考えているが、東京、大阪の通勤地獄の方がはるかに深刻で非人道的。金があればそちらに回したい」と述べた<ref>{{harvtxt|政治新幹線を発車させた男たち|1994|pp=76}}</ref>。このように関係閣僚からは改めて整備新幹線着工への消極的な発言が続出した。
 
=== 昭和六十三年度予算 ===