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橘花には当初[[ネ12 (エンジン)|ネ12]]B(推力320kg)が搭載される予定であった。しかし1945年(昭和20年)4月、より高推力の[[ネ20 (エンジン)|ネ20]]に変更された経緯がある。ネ12Bを搭載した場合、[[初風 (エンジン)|初風]]エンジンを搭載する予定であった。
 
ネ20は日本初の実用に耐えるしたターボジェットエンジンである。諸元は、全長1800mm、直径620mm、全重量474kg、推力475kg、軸流式コンプレッサー8段、タービン1段、回転数11000rpmである。これは[[海軍航空技術廠|空技廠]]、[[荏原製作所]]([[川崎市]][[中原区]])その他メーカーの協力にて設計・製造された。エンジン寿命は連続運転で約40時間と非常に短かった。これは推力軸受[[座金]]の焼付きがあったためで、[[小柴定雄]]博士(当時;[[日立製作所]]安来工場、現;[[日立金属]]冶金研究所)が開発した当時、最高性能の工具鋼[[Cr-W鋼]](イ513)によってなんとか実用化の目処を得た。
 
[[ドイツ]]へ派遣された[[伊号第二九潜水艦]]にはジェットエンジンの実物を含む多くの技術資料が搭載されていたが、この潜水艦は途中で入港したシンガポール昭南からの出港後に撃沈された。したがって橘花製作に役立つ資料は、シンガポール昭南で降ろされ先に飛行機で運ばれた[[BMW 003|BMW 003A]]の縮尺断面図([[写真フィルム|フィルム]]から[[引き伸ばし]]された[[印画紙#サイズによるもの|キャビネ判]]の写真一枚のみであったとされる)と、[[ユンカース ユモ 004|ユンカース Jumo 004B]]の実物見学記録のみであり、これらがかろうじて日本に届いた、という有様であった。
 
当時ジェットエンジンのタービンブレードを製作するのに必要な[[ニッケル]]、[[モリブデン]]などの[[耐熱合金]]用材料も枯渇していた最中に、これらのわずかな資料を参考に、たったの1年でエンジンを造り、低出力ながらも実用運転状態までこぎつけたことは、[[ネ10 (エンジン)|ネ10]]・ネ10改(推力230kg)、ネ12(推力300kg)・ネ12Bなど、それまでの独自開発経験の蓄積があったとはいえ、まさに国力を超えた技術者達の執念というほかに無かった。[[種子島時休]]中佐率いる設計チームはそれまで設計を進めていた軸流式+遠心式のネ12Bを放棄し、新たに軸流式のネ20を開発した形になるが、開発の方向性が間違っていなかったことを確認して自信を深めたという。