削除された内容 追加された内容
m NHKは「沖縄宮古」という名称を使用しておりません。
12行目:
*[[1967年]][[12月22日]] - OHK[[沖縄放送協会]]が沖縄本島に先駆けて宮古・八重山地区でテレビ放送を開始、宮古テレビジョン放送局開局(コールサイン:KSDY-TV、US9ch・映像出力1kW)。
*[[1972年]]
**[[5月15日]] - 本土復帰によりOHKは[[NHK沖縄放送局]]となった。これによりOHKテレビは[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]となり(ただし番組内容は総合テレビと教育テレビの独自混合編成)、OHK宮古テレビジョン放送局はNHK沖縄宮古テレビジョン放送局に変わった(コールサインはJOVQ-TVに変更、チャンネル名は沖縄宮古総合テレビジョン)。また八重山放送局が廃止されたため、先島諸島の親局となった。
**[[6月25日]] - NHK沖縄放送局が中波ラジオ放送を開始(第1は27年ぶりの復活)したのにともない、[[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1放送]]と[[NHKラジオ第2放送|第2放送]]の中継局が開局(第1放送:970kc・100W、第2放送:1370kc・100W)。
*[[1973年]][[11月1日]] - 琉球放送英語放送局(復帰前のコールサイン:[[KSBK]])閉局にともない、同局のコールサインだったJOROが宮古ラジオ放送局のコールサインとなる。
*[[1975年]] - 沖縄本島からの海底ケーブルが暫定開通し、[[NHKニュース]]などNHKの一部番組が全国・沖縄本島と同時放送となる(ただしモノクロ)。
*[[1976年]][[12月22日]] - 沖縄本島との海底ケーブルが開通。これによりNHKのテレビ放送が全国・沖縄本島と同時放送となる。NHK沖縄宮古テレビジョン放送局が廃止され平良テレビ中継局(総合テレビ)に格下げし、チャンネルもアメリカ式のUS9chから日本式の7chへ変更された。そして新たに[[NHK教育テレビジョン|教育テレビ]]とFM放送が開始された。
*[[1978年]][[11月23日]] - AMラジオの周波数の間隔が10kHzから9kHzとなったため、NHKとRBCの周波数がそれぞれ変更された(NHK第1:970 kHz→1368 kHz、NHK第2:1370 kHz→1602 kHz、RBC:1150 kHz→1152 kHz)。
*[[1985年]]5月頃 - RBCラジオの中継局が[[平良市]]久貝(現・宮古島市平良久貝)に移転(支線式円柱管65m)。
77行目:
|}
*送信所:NHKは宮古島市平良東仲宗根、民放は同西仲宗根。両局の距離は約1km。
*NHK総合は前身のOHKテレビ時代~復帰後におけるNHK沖縄宮古テレビ時代にはUS9chで放送。沖縄本島・全国と同時放送となった1976年12月22日より現行のJA7chに。
*QABはデジタル放送のみ開局。
*沖縄本島([[糸満市]][[NTT西日本米須陸揚室|米須]]) - 宮古島(宮古島市[[城辺町 (沖縄県)|城辺]])間に海底ケーブルが敷設されており、宮古島市城辺の陸揚所から中継局の同市平良へ伝送。さらにNHK沖縄放送局は石垣島の[[於茂登岳]]へ、民放(RBC・OTV)は[[多良間島]]へそれぞれ送信。