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豊島開発の実質的経営者は父親の代より豊島に移住し、豊島家浦[[小字|字]]水ケ浦に28.5[[ヘクタール]]の土地を所有していた。1975年12月に豊島開発は香川県に対して有害廃棄物処理場建設の申請を行った<ref name=watashitachi/>。豊島の住民はただちに反対運動を開始し、[[1976年]]に豊島住民1425名の反対署名を香川県へ提出している<ref name=watashitachi/>。[[1977年]]に住民らは「廃棄物持込絶対反対豊島住民会議」を結成、3月4日には豊島住民515名が[[香川県庁]]へデモに押しかけ、6月28日には豊島住民が[[高松地方裁判所]]に処分場建設差し止め裁判申立を行うなど、激しい反対運動を展開した<ref name=watashitachi/>。処分場予定地に通じる道路に杭を打ち、道路を封鎖するなどの実力行使も行われた<ref name=watashitachi/>。これら反対運動に激昂した経営者は、住民を脅したり暴行傷害事件を起こしたりして逮捕された<ref name=watashitachi/>。
 
経営者逮捕によって旗色が悪くなった豊島開発は、廃棄物処理場建設の目を「[[ミミズ]]養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理」に変更する<ref name=watashitachi/>。[[1978年]]2月1日、香川県知事(当時)の[[前川忠夫]]は、先の処分場建設差し止め裁判の結論を待たずに<ref name=watashitachi/>、ミミズ養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理に限定して処分場建設を許可した(廃棄物の処理及び清掃に関する法律の一四条一項)<ref name=hanketu80/>。前川は「迷える子羊も救う必要がある。事業者は住民の反対に遭い生活に困っている。要件を整えて事業を行えば安全であり問題はない。それでも反対するのであれば住民エゴであり事業者いじめである。豊島の海は青く空気はきれいだが、住民の心は灰色だ」と述べて、処分場の計画に反対する住民を非難し<ref>{{Wayback|url=http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/~okuda/writings/teshima02.html |title= 豊島産業廃棄物不法投棄事件─その倫理学的検討のための予備考察 南山大学|date=20040223054845 }}</ref>、処分場を許可する方針を貫いた<ref name=watashitachi/>。同年10月19日、「産業廃棄物を豊島に持ち込まない」「豊島の環境を悪化させない」等の条項を定めた高松地裁での処分場建設差し止め裁判の[[和解]]が豊島開発との間に成立した<ref name=hanketu80/>。豊島開発が許可された事業内容は、汚泥(製紙汚泥及び食品汚泥)、[[木屑]]及び[[家畜]]の[[糞]]の収集運搬業及びミミズによる土壌改良剤化処分業であった<ref name=hanketu80>高松地方裁判所 平成8年(ワ)80号 判決</ref>。
 
=== 産廃の持ち込み ===