「スターリングラード攻防戦」の版間の差分

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* [[10月14日]] - ドイツ軍第14装甲師団と3個歩兵師団が支援爆撃とともにトラクター工場に対する総攻撃を開始した。市街への攻撃開始以来最大の激戦となり、ジョルデフ少将の第37親衛狙撃師団を壊滅させてヴォルガ川に達したが、ドイツ軍も1日で3,000人近い戦死者を出した。ソ連軍を全滅させたドイツ軍部隊が河岸に到達するや、対岸のソ連軍は重砲や[[カチューシャ (兵器)|カチューシャロケット砲]]で集中砲火を浴びせたので、ドイツ兵の消耗も著しかった。
* [[10月23日]] - バリカドイ兵器工場のほとんどがドイツ軍の手に落ちる。前日には初雪が降ったが、市街の9割はドイツ軍の支配下となった。
* [[10月27日]] - 赤い10月製鉄工場にドイツ第79歩兵師団が突入。ソ連兵は火を落とした溶鉱炉などで食い止める。いまや第62軍は、工場の一郭に潜伏するか、ヴォルガ川に幅数百メートルで張り付いた帯状の陣地に立てこもる状態なった。しかし、ほとんど増援を得られない中で将兵は頑強に抵抗した。ドイツ軍も補給に苦しみ、また空軍の支援も漸減し、冬を迎えつつある市街のわずか数パーセントをめぐり際限のない市街戦が続いた。
* [[11月1日]] - 第79歩兵師団による「赤い10月」工場奪還の失敗後、第6軍は最後の大規模な攻勢として、突撃工兵による[[突撃大隊|特攻戦術]] (Stoßtrupptaktik) を中核とした「[[フーベルトゥス作戦]]」を発動。目標は「バリケード」兵器工廠及び「ラズール」化学工場など工場群、さら特徴的な周回線路る鉄道網、通称「テニスラケット」等の工と呼ばれた操車群の占拠であった。作戦は18日頃まで実施されたが最終的に第6軍は大きな損害を被った上り、作戦は最終的には失敗に終わり第6軍の戦力は壊滅に瀕した。
* [[11月8日]] - [[ロシア革命]]25周年を記念して、この日にソ連軍が何らかの攻勢を仕掛けるだろうという懸念があったが何事もなく、ソ連の兵力も限界に近づいているとの楽観論がドイツ軍側に漂う。翌日、ヒトラーはスターリンの名を冠したスターリングラードを時間のいかんに関わらず必ず制圧し、[[ヴェルダンの戦い|ヴェルダン]]の二の舞にはしないとラジオで演説した。
* [[11月11日]] - 午前6時30分、ドイツ軍は7個師団で工場地区に残る第62軍の掃討を開始した。激烈な白兵戦が展開された末、特徴的な周回線路から「テニスラケット」と呼ばれた操車場は第62軍が何とか確保したが、ドイツ軍は赤い10月製鉄工場を突破して数百メートル幅でヴォルガ川に到達し、第62軍は三つに分断される。さらに浮氷がヴォルガ川に流れ出し、ただでさえ困難だった対岸からの補給を阻害した。しかし、市内のほとんどを確保したとはいえドイツ軍の消耗も激しく、日ごとに寒気が強くなる中で、戦線は再び膠着状態となってしまう。結局、これが第6軍にとって最後の総攻撃となった。一方、第62軍は今回も激しい爆撃を受けたが、彼らの頭上には爆弾に交じって鉄片や瓦礫、犂まで落とされた。これを見てチュイコフは、自らのみならず敵も限界に近づきつつあることを悟った。
 
== ソ連軍の大反攻 ==