「シャンパーニュ伯」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
読み方を記事と同一に変更
呼称の統一
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
1行目:
'''シャンパーニュ伯'''(comtes de Champagne)は、[[フランス王国]]の[[シャンパーニュ]]地方を[[1022年]]から[[1314年]]まで支配した領主、またはその[[称号]]。[[ヴェルマンドワ家]]の領したモー伯領と、[[ブルゴーニュ公]]家の領していたトロワ伯領の統合により成立し、[[ブロワ家]]のユーグの時に、正式にシャンパーニュ伯を称した<ref>J.E.モービー『オックスフォード世界歴代王朝王名総覧』東洋書林、1993年、p.119</ref>。[[ブロワ]]伯と深く関係し、両方を兼ねるものも多かった。
 
ティボー2世、アンリ1世の時代にフランス王家と抗争しながらも姻戚関係を深め、また領内に築かれた[[シャンパーニュ大市]]の保護者となることでフランス有数の諸侯となった。[[十字軍]]にも関わり、アンリ2世はエルサレム女王[[イザベル1世 (エルサレム女王)|イザベル1世]]と結婚し[[エルサレム王国|エルサレム王]]となり、ティボー3世は[[第4回十字軍]]の指導者に選ばれたが出発前に病没した。[[テオバルド1世 (ナバラ王)|ティボー4世]]の時に母系相続により[[ナバラ王国|ナバラ王]]を兼ねる。
 
[[1314年]]にナバラ王を兼ねていたルイが父[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]の跡を継ぎ、フランス王[[ルイ10世 (フランス王)|ルイ10世]]として即位した時、シャンパーニュ伯領は王領に組み込まれた。以降、同地の代官が儀礼的爵位としてシャンパーニュ伯を名乗った。