「死者の書 (古代エジプト)」の版間の差分

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== 名称 ==
書名を[[ラテン文字化]]すると『Rw Nw Prt M Hrw{{Efn|ヒエログリフでは<br><hiero>D21:Z1:M33 W24:Z1 O1:D21 X1:D54 G17 O4:D21 G43 N5:Z1</hiero>}}』で、『ル・ヌ・ペレト・エム・ヘル』もしくは『ペレト・エム・ヘルゥ』と読むことが多い。これを日本語に直訳すると「日下出現の書」または「日のもとに出現するための呪文」となる<ref>[[近藤二郎]]、[[大城道則]]、菊川匡 共著、近藤二郎 監修 『古代エジプトへの扉: 菊川コレクションを通して』 [[文芸社]]、2004年10月、109頁。{{ISBN2|4-8355-8461-9}}。ISBN-13: 978-4-8355-8461-4。</ref>。『死者の書』という名称は、[[1842年]][[プロイセン王国]]の[[エジプト学]]者、[[カール・リヒャルト・レプシウス]]がパピルス文書を "{{Lang|de|Ägyptisches Totenbuch}}"(『エジプト人の死者の書』)と名付けて出版したことで、英訳の "{{Lang|en|Book of the Dead}}" などと知られるようになった。「日のもとに出現するための呪文」と呼ばれることもある<ref>[[近藤二郎]]、[[大城道則]]、菊川匡 共著、近藤二郎 監修 『古代エジプトへの扉: 菊川コレクションを通して』 [[文芸社]]、2004年10月、109頁。{{ISBN2|4-8355-8461-9}}。ISBN-13: 978-4-8355-8461-4。</ref>
 
== 形態 ==