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'''御神酒徳利'''(おみきどっくり、おみきどくり)は[[古典落語]]の演目。元は[[上方落語]]。別名に'''占い八百屋'''(うらないやおや){{sfn|東大落語会|1969|pp=106-107|loc=『御神酒徳利』}}。現在に知られているものは、[[三遊亭圓生 (6代目)|六代目三遊亭圓生]]が大阪から来た[[金原亭馬生 (5代目)|五代目金原亭馬生]]に習ったものであり、当初はサゲはなかった{{sfn|東大落語会|1969|pp=106-107|loc=『御神酒徳利』}}。また、別口で[[柳家小さん (3代目)|三代目柳屋小さん]]も上方から「占い八百屋」の題で移入しており、こちらは大阪にたどり着く前に噺が終わってしまう{{sfn|東大落語会|1969|pp=106-107|loc=『御神酒徳利』}}。
{{出典の明記|date=2016年9月21日 (水) 08:42 (UTC)}}
'''御神酒徳利'''(おみきどっくり、おみきどくり)は、[[落語]]の演目の一つ。[[上方落語]]の演目で、現在東京では二通りのやり方がある。
 
六代目圓生は昭和48年(1973年)の宮中の「春秋の間」でこの噺を御前口演した。
一つは、3代目桂三木助と6代目三遊亭圓生が、大阪から来た五代目金原亭馬生に教わった型で[[旅籠]]の通い番頭が主人公で、神奈川の宿からさらに大阪まで行く長い噺である。元来サゲがなかったので、三木助は「かかあ大明神のおかげだ」、圓生は「そろばん占いで成功したので、生活も桁違いになった」とそれぞれ自分でつけていた。
 
== あらすじ ==
もう一つの型は明治時代に[[柳家小さん_(3代目)|3代目柳家小さん]]が上方で教わって東京の[[柳派]]で広めた別名「占い八百屋」で、とある商店にご用聞きに来た八百屋が主人公になっていて、そこの女中にぞんざいに扱われた腹いせに家宝の御神酒徳利を水瓶の中に隠して、そろばん占いと称してありかを教えるといういわば自作自演から始まり、そこから「そろばん占いで紛失物を探し出す先生」と持ち上げられて困った挙げ句、神奈川の宿で逃げ出して「今度は先生が紛失した」とサゲる形である。[[三遊亭圓生_(6代目)|6代目三遊亭圓生]]は、[[1973年|昭和48年]]に宮中の「春秋の間」でこの噺を御前口演した。
[[日本橋馬喰町]]の刈豆屋という旅籠には先祖が徳川家より拝領したという御神酒徳利を家宝として大事にしていた。
 
ある年の師走の十三日、年に一度の大掃除のこと。通い番頭の善六は、家宝の徳利が無造作に出されていることを見つけ、盗られては大変だと台所の水瓶の中に隠した。ところが、その後の忙しさで善六はこの事をすっかり忘れてしまっていた。掃除が終わると、いつもなら奉公人たちを労う恒例の祝宴が行われるところ、主人は徳利が消えたことを話し、宴は取りやめとなる。善六は家に戻ったところで徳利の件を思い出すが、今さら名乗り出にくい。妻に相談すると、妻の父は易者であったことから嘘の占いで見つけたことにすれば良いとなる。そこで善六は刈豆屋に戻ると、生涯に3度だけできるという触れ込みで、そろばんを使った占いで徳利を見つけ出すと主人に言う。善六は適当にそろばんを弾きながら、台所の水瓶の中にあると宣言する。その通りに徳利が見つかったために主人は大喜びし、奉公人たちを集めて祝宴を開く。
ほとんど演じられることはないが、近年[[桂文珍]]がネタを再構築して演じている。
 
この日、刈豆屋には得意客として、大坂の大商人である[[鴻池善右衛門]]の支配人が泊まっていた。善六の占いの話を知った支配人は、実は腕の良い占い師を探していたことを刈豆屋の主人に話す。何でも、鴻池のお嬢様が原因不明の病で床に臥せっており、どんな名医に診せても原因がわからず、神仏や占いを頼ろうとしていたとのことであった。支配人は刈豆屋の許可を得て、善六に三十両の大金を提示し、駄目であっても構わないので一緒に大坂に来て欲しいと頼む。善六は断ろうとするも、妻に説得され、嫌々ながら支配人と大坂に向かうことを決める。
== あらすじ ==
 
道中、[[神奈川宿]]の新羽屋(にっぱや)という鴻池の定宿に泊まったところ、店が慌ただしい。理由を尋ねると、数日前に泊まった薩摩武士が金七十五両と幕府への密書が入った巾着が盗まれる事件が起き、店の使用人が疑われ、主人の源兵衛は奉行所でお取り調べを受けているという。お金は代弁できても密書が見つからないのは困ると女将が言うと、支配人は善六を紹介する。困った善六は逃げ出すために、静かに占いたいので離れで一人にしてくれと頼む。そして機を見て逃げ出そうとしたところ、刈豆屋での逸話を聞いて観念した犯人の女中がやってくる。彼女は病気の親に仕送りするために魔が差して盗んでしまったと打ち明けて見逃して欲しいと頼み込み、巾着は裏庭の壊れたお稲荷さんの社に隠したことも明かす。内心で喜ぶ善六は、女中を宥めて彼女から稲荷のことを詳しく聞き出すと、店の者を集める。そして、巾着は壊れた稲荷の社に隠されており、昨年の雷で壊れたまま放置された稲荷の祟りであると話す。調べれば確かに社から巾着が見つかり、新羽屋は感謝して善六に30両の多額の礼金を支払うが、善六は出立の際に、こっそり例の女中を呼ぶと親孝行に使いなさいと謝礼の中から5両を渡す。
 
大坂・鴻池に到着すると、支配人は刈豆屋のみならず、新羽屋のことも主人や店の者に話し、善六に期待が集まる。困った善六は時間を稼ぐため、数日間の断食と水垢離を始め、神頼みする。満願の日、夢枕に新羽屋の稲荷が現れ、お前の占いのおかげで社が再建され、再び崇め奉られて正一位にまで出世したと感謝し、その礼として鴻池の娘を救う方法を伝える。翌日、善六は適当にそろばんを弾くと、稲荷に聞いた通り、この屋敷の乾の隅の四十二本目の柱の下に埋もれている観音像を掘り出し、奉るように指示する。さっそく鴻池の者たちが調べてみると確かに観音像があり、すぐさま娘が快復する。鴻池の主人は善六に感謝して莫大な礼金を払い、これを元手に善六は喰町に立派な旅籠を開いた。
 
最後に「生活はもちろんケタ違いになるわけで、そろばん占いでございますから」とオチる。
 
=== サゲのバリエーション ===
上記のサゲは六代目三遊亭圓生によるものである。圓生と同じく五代目馬生から教わった三代目桂三木助は、最後、善六が女房と会話し、彼女が「これも新羽屋稲荷大明神のお陰だね」と言ったことに対して、「なあに、かかあ大明神のお陰だ」と返すものであった{{sfn|東大落語会|1969|pp=106-107|loc=『御神酒徳利』}}。
 
== 占い八百屋 ==
'''占い八百屋'''(占い八百屋)は古典落語の演目。三代目小さん経由で江戸落語に移されたものであり、御神酒徳利とほぼ噺の筋は同じだが、主人公が八百屋であること、小田原宿(神奈川宿)で終わりとなっている。
 
=== あらすじ ===
とある八百屋がある商家の御用聞きのため台所の勝手口を訪れると、その店の女中に邪険に扱われた。腹が立つ中で台所をひょいっと眺めると、店の家宝という御神酒徳利が無造作に置かれている。店の者がいないため、八百屋は腹いせにこの徳利を水瓶の中に隠してしまう。その後、店では家宝の徳利が無くなったと大騒ぎのところを、何食わぬ顔で八百屋が訪れる。そろばん占いと称して、そろばんを適当に弾き、水瓶の中にあると宣言する。徳利が見つかると主人は喜び、八百屋を「そろばん占いで紛失物を探し出す先生」と持ち上げる。
 
この後、御神酒徳利と同様に偶然居合わせた鴻池の支配人に頼まれしぶしぶ大阪に向かうこととなる。道中、小田原宿で泊まった際、宿の者に捜し物を頼まれ、切羽詰まり夜逃げする。
 
最後に「今度は先生が紛失いたしました」とオチる。
[[日本橋馬喰町|馬喰町]]に刈豆屋という[[旅籠]]があった。[[12月|師走]]十三日は年に一度の大掃除。ご先祖様が[[徳川氏|徳川家]]よりいただいた家宝の御神酒徳利を盗られでもしたら大変だと、通い番頭の善六がとりあえず[[甕|水瓶]]の中に沈めておいた。ここまでは上出来だったが、なんと善六はそのことをすっかり忘れてしまった。さあ刈豆屋では「大事な御神酒徳利がなくなった」と大騒ぎ。家へ帰った善六は水瓶の中へ入れておいたことを思い出したが、今さら「自分が忘れておりました」とはいい出しにくい。そこで、女房の入れ知恵もあって、そろばん占いで徳利のありかを占うということにした。適当にそろばん玉をはじいて台所をウロウロ、とどのつまり水瓶の中の御神酒徳利を見つけ出すという企みがまんまと図に当たり、主人を始め、みんな大喜びで祝宴がはじまった。
 
== 備考脚注 ==
たまたまその日に泊まっていたのが、大阪の[[鴻池善右衛門]]の支配人。その支配人が善六に「是非大阪までいってほしい」と頼み込む。それというのも、「鴻池の娘が床について、どんな名医に診せても癒らない。そこでなんとか善六に占ってもらいたい」というのである。断わりたくても断われなくなった善六は、嫌々支配人と大阪に向かう。ところが神奈川宿の新羽屋という鴻池の定宿に泊まったところ、その宿の主人に密書入りの財布を盗んだ嫌疑が掛かり、取り込みの最中だった。鴻池の支配人や宿の[[お上|女将]]に泣きつかれた善六が、占いで下手人を見つけることになってしまう。もとより善六に占えるわけがなく、「ここは逃げ出すに限る」と夜逃げの支度をしていると宿の[[女中]]が訪ねてくる。「病気の親に仕送りしたさに前借りを申し入れましたが断わられてしまい、悪いこととは知りながらつい財布に手を出してしまいました」と泣きながら白状する女中から財布の隠し場所を聞き出した善六は、「これぞ天の助け」と大喜び。さっそく宿の庭のお[[稲荷神|稲荷]]さんの祟りと称した善六が財布のありかを占い出すので、見ている一同はただただ驚くばかりであった。嫌疑の晴れた宿の主人からも礼金を貰い、こっそりと件の女中を呼んで「親孝行のためとはいえ、もう妙な了見を起こしちゃいけないよ」これで親に薬を買っておやりとお金を渡してやる。
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|40em}}
 
== 参考文献 ==
支配人はすっかり善六を信用し鴻池の屋敷へ連れていったが、困ったのは善六。苦しい時の神頼み、「どうぞお助けください」と断食に水[[垢離]]を始めたところ、神奈川宿は新羽屋の稲荷が夢枕に立った。「お前が稲荷の祟りのせいにしたため『あの稲荷には効力がある』と評判になり、おかげで[[正一位]]に出世した。そのお礼として娘の病気のことを教えてやろう。この屋敷の[[乾]]の隅の四十二本目の柱の下に埋もれている[[観音菩薩|観音像]]を掘り出して崇めよ、娘の病気は全快間違いなし」とのこと。すぐに善六がそのことを鴻池に伝え、稲荷の告げたとおりにすると不思議にも娘の病気が癒ったので、鴻池では米蔵を開いて施しをしたという。また善六は莫大な礼金をもらい、馬喰町に立派な旅籠を建ててそこの主人におさまった。生活がケタ違いによくなったわけである。「もちろんケタ違いになるわけで、そろばん占いでございますから」
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* {{Citation
| author = 東大落語会
| author-link =
| year = 1969
| title = 落語事典 増補
| publisher = 青蛙房
| edition = 改訂版(1994)
| series =
| isbn = 4-7905-0576-6
| ref = }}
 
== 備考 ==
*御神酒徳利は、2個で1対であることから「仲が良い」という意味もある。
*[[桂三木助 (3代目)|3代目桂三木助]]は、江戸に帰ってきた善六が女房の前で土産話をし、女房「これも新羽屋稲荷大[[明神]]のお陰だね」善六「なあに、嬶大明神のお陰」とサゲていた。
 
{{落語の演目 (舞台別)}}