削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
35行目:
[[1973年]]12月4日、岳父の太郎が議員在職中に死去。四国新聞社代表取締役社長に就任。
 
[[1974年]]1月27日に行われた[[参議院議員]][[香川県選挙区]]の[[補欠選挙]]に太郎の後継者として、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の公認を受けて立候補し初当選。[[中曽根派]](のち[[渡辺派]])に所属。同年7月の参院選で再選
 
[[1975年]]、四国新聞社社主・代表取締役会長に就任。[[1977年]]11月、[[経済産業省|通商産業]][[政務次官]]に就任。
 
[[1978年]]、[[西日本放送]]代表取締役社長を兼任。1980年の参院選では、太郎の次女の平井佐代子が無所属で立候補。佐代子ら3候補を破り3選
 
[[1986年]]7月 [[第14回参議院議員通常選挙]](衆参同日選挙)で4選。[[選挙]]後発足した[[第3次中曽根内閣]]において[[労働省|労働大臣]]に就任。