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→即位、治世、参考文献
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===即位===
冒頓は頭曼単于の元に戻る。頭曼は見込みがあると考え、[[私兵]]を与えたが、冒頓はいずれ殺されると思い、いわゆる[[クーデター|謀反]]を起こそうと考えた。そして冒頓は[[紀元前209年]]に謀反を起こし、父、継母、異母弟及びその側近を抹殺した上で、[[単于]]に即位した。
 
謀反に当たり、事前に冒頓は私兵を秘密裏に養成していた。私兵を率いて「我(われ)が[[鏑矢]]を放ったらすぐさま同じ方向に矢を放て」と命令する。まず野獣を射た。矢を放たないものは斬り殺した。次いで自らの愛馬に向かって射た。同じく放たないものは斬り殺した。更に自分の愛妾を射ち、同じく放たないものは斬り殺した。そして父の愛馬を射るときには全ての部下が矢を放った。こうして忠実な部下を得たのである。
 
そして父が通り狩猟に出かった際にそこに向け、冒頓は頃合いを見頭曼を鏑矢を放ちで射抜き、配下の私兵も大量の矢を浴びせて頭曼を射殺した。そして継母これが謀反異母弟及びそ端緒となっ側近を抹殺した上で冒頓は[[紀元前209年]]、[[単于]]に即位し{{Sfn|沢田|2015|page=33}}
 
===治世===
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これに更に冒頓を甘く見た東胡は、二度目の使者を送り「両国の関係ため、冒頓様の后の中から一人を頂きたい」と言った。部下達は「東胡はふざけすぎています。攻め込みましょう」と言ったのだが、冒頓は「后は何人もいる。隣国なのに、一人の后を惜しむべきではない」と言い、東胡へ一人の后を贈った。
 
また東胡から使者がやってきて、「両国と匈奴の間で国境としているには千余里ほど、人荒野を住んでいない土地があり欧脱地と呼んでいた。東胡王は匈奴に使者を送って「匈奴入らないように、欧脱地を占有することにしたい」と言っ要求してきた{{Sfn|沢田|2015|page=38}}。先の件では一致して反対した部下達も、遊牧民故に土地への執着が薄いこともあり二分された。その一方が「千余里の荒地など我々匈奴にとって何の価値も有りません。与えても良いでしょう」と言った途端、冒頓は怒り「我々の全ての土地は国の根幹である!今、東湖に与えても良いと言った者は斬り捨てろ!」と言い、すぐさま馬に跨り「全匈奴民に告ぐ!我に遅れたものは斬る!」と東胡へ攻め入った。一方の東胡は先の件もあって完全に油断しており、その侵攻を全く防げなかった。匈奴軍は物を奪い、人は奴隷とし、東胡王を殺した末に、東胡を滅亡させた。
 
冒頓は続けて他の部族に対しても積極的な攻勢を行い、[[月氏]]を西方に逃亡させるなど勢力範囲を大きく広げ、広大な匈奴国家を打ち立てた。丁度中原は秦帝国崩壊から漢楚戦争の頃であり、北方(北荻)を注視していなかったこともモンゴル高原の統一を容易にした。しかしそれは、中原を統一した漢との決戦がいずれ行われることを示していた。
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===子===
*[[老上単于|稽粥]]
 
==脚注==
{{Reflist}}
 
==参考文献==
{{Citation |last=沢田 |first=勲 |year=2015 |title=世界史リブレット人014 冒頓単于 匈奴遊牧国家の創設者 |publisher=山川出版社}}
 
== 関連項目 ==