「北海道拓殖銀行」の版間の差分

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K.shinno (会話 | 投稿記録)
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同年末には、大蔵省から「決算承認銀行」の指定を言い渡され、金融当局の強い管理下に置かれることとなる。この事実は極秘事項となり、顧客・株主は勿論のこと、行員にも上層部を除いてほとんど知らされていなかった。翌[[1995年]](平成7年)[[5月]]に発表した3月期決算では、設立以来95年で初の赤字に転落。夏には[[ムーディーズ]]から、「非常に弱い財務内容・何らかの外部の支援を要する」とされるEランクの[[信用格付け|格付け]]を与えられた。
 
[[1996年]](平成8年)末、報道機関の間には「[[大発会・大納会|大納会]]の後に拓銀が重大発表をする、「近く業務停止命令が出る」など、不穏な噂が流れ始めた。年が明けた[[1997年]](平成9年)になると、銀行株は軒並み安値を更新し、特に拓銀株は外資系[[証券会社]]から大量の[[空売り]]を浴びせられ、18年ぶりに株価200円を割った。大口の[[機関投資家]]を中心とした預金解約が始まるようになる。
 
2か月後のテレビ番組「[[サンデープロジェクト]]」で、銀行名は伏せながらも「株価から見て実質的に破綻」という発言が放送されると、不安は小口の一般利用者にまで広がり、翌月曜日だけで10億円以上の預金が解約される[[取り付け騒ぎ]]となった。預金流出と経営不安が負のスパイラルとなっていた。