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{{Infobox baseball player
|選手名 = 赤松 真人
|英語表記本名 =
|所属球団 = 広島東洋カープ
|役職 = 二軍外野守備・走塁コーチ
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{{by|2009年}}は、4月3日の開幕戦(対巨人戦)に1番センターでスタメン出場し自身初の開幕スタメン入りを果たす。さらにこの試合では勝ち越しとなる2点適時打を打ち、[[ヒーローインタビュー]]を受けた。[[2009年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]にもファン投票で初選出し、2試合を通じて2安打2盗塁の活躍が評価され、「ファンの心を最もときめかせた選手」<ref>{{Cite web |url=https://npb.jp/allstar/2009/news01.html |title=「マツダ アクセラ賞」を創設~ファンの心を最もときめかせた選手に贈呈~ {{!}} ニュース {{!}} マツダオールスターゲーム2009 |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2021-09-25}}</ref>に贈られる「[[マツダ・アクセラ]]賞」を獲得した。シーズン後半では天谷や[[末永真史]]との併用も増えたが、初の規定打席到達を果たすなど実り多いシーズンとなった。また、打率こそ前年より落とし、同年の規定打席到達者の中では最低であったものの、得点圏打率は前年の.195からチームトップの.303まで向上させるなど勝負強さを見せたシーズンでもあった。外野守備の面では、シーズン序盤のチーム防御率が2点台と良好だったことについて投手コーチの[[小林幹英]]から「赤松や天谷の守備範囲に助けられた部分が大きい」と賞賛された<ref>{{Cite web |title=失速 ブラウンカープ 下.監督の焦り |url=https://www.chugoku-np.co.jp/Carp/09kikaku/sissoku/20090725.html |publisher=[[中国新聞]] |date=2009-07-25 |accessdate=2010-07-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130126112420/https://www.chugoku-np.co.jp/Carp/09kikaku/sissoku/20090725.html |archivedate=2013-01-26}}</ref>。
[[ファイル:HC-Masato-Akamatsu.jpg|サムネイル|2009年9月19日、阪神甲子園球場にて]]
{{by|2010年}}は、2月のキャンプで左太もも裏肉離れで三軍でリハビリを送るという苦いスタートとなった。しかし、3月中には二軍の[[教育リーグ]]で実戦復帰し4月4日に一軍登録され、3割を超える勝負強い打撃で3番でも起用されるなど、出遅れながらも外野手競争に加わった。この年のハイライトは8月4日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦で、赤松は[[村田修一]]が打った左中間のスタンドに入りかけた本塁打性の当たりをフェンスを一足飛びによじ登り好捕。このプレーは海外メディアでも米[[Yahoo!]]のトップニュースに掲載されるなど注目を集めた。米[[CBS]]では[[山森雅文]]を紹介しつつ、「日本の野球史上、もっとも衝撃的なキャッチだ」と紹介された。米スポーツ専門テレビ[[ESPN]]でも、全世界のあらゆるスポーツの中から選ばれるその週の「トップ10」にて1位で選出されるなど大きく取り上げられた。またインターネット動画サイト[[YouTube]]でも同様の動画が100万件以上再生されており、赤松も一夜にして日本の内外から多くの反響を呼ぶ結果となった<ref>{{Cite web |url=http://sankei.jp.msn.com/world/america/100807/amr1008070006000-n1.htm |title=米テレビ「スパイダーマンキャッチ!」 広島・赤松のプレーを絶賛 |publisher=[[産経新聞]] |date=2010-08-07 |accessdate=2021-09-25}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100810-664257.html |title=赤松のスパイダーキャッチESPNも1位 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=2010-08-10 |accessdate=2021-09-25}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20100807-663025.html |title=「スパイダーマン」赤松が米国で話題に |publisher=日刊スポーツ |date=2010-08-07 |accessdate=2021-09-25}}</ref>。このとき、足下には広島市に本社を置く[[タカキベーカリー]]が広告を出しており、同社から特別賞としてパン詰め合わせが贈られた。シーズン後半は復調した天谷にスタメンを譲ることも多かったものの、打率と盗塁は自己最高を記録する活躍を見せた。規定打席には到達できなかったが同年、自身としては初のタイトルとなる[[ゴールデングラブ賞]]を受賞した。
 
{{by|2011年}}以降は毎年80試合前後に出場、足のスペシャリストとして[[代走]]の切り札としての出場を中心に[[守備固め]]、[[代打]]、[[外野手|外野]]のスタメンと色々な場面で活躍した。守備面でも[[守備率]]1.000を毎年記録している。
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{{by|2015年}}も主に代走の切り札として起用され、52試合のうち38試合が代走としての出場だった。ベンチに控えている間は、他の選手に対して相手投手や走塁についてアドバイスを送る役割を担った{{R|残留宣言}}。シーズン中に[[フリーエージェント (日本プロ野球)|フリーエージェント]] (FA) 権を取得したが、シーズン終了後にFA権を行使せずに広島に残留することを宣言した<ref name="残留宣言">{{Cite news |title=広島赤松が残留明言「カープが好きだから」 |publisher=日刊スポーツ |date=2015-10-16 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1553409.html |accessdate=2015-10-19}}</ref>。
 
{{by|2016年}}には、ゲーム終盤の代走・守備要員として一軍公式戦89試合に出場した。盗塁成功率は.857(企図14成功12)で、4年ぶりに8割を上回った。また、打席数が少ないながらも、打率.368を記録した。6月14日の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦(マツダ)では、同点で迎えた9回裏二死一・二塁の打席で安打を打ったところ、二塁走者の[[菊池涼介]]が本塁へ突入。球審の[[木内九二生]]は菊池にアウトを宣告したものの、広島の[[緒方孝市]]監督の抗議でビデオ判定を実施した末に[[コリジョンルール]]の適用によってチームがサヨナラ勝利を収めた。なお、同ルールの適用によるサヨナラ安打はNPBの公式戦史上初めてであった<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2016/06/14/0009185909.shtml |title=史上初!広島がコリジョンでサヨナラ |publisher=[[デイリースポーツ]] |date=2016-06-14 |accessdate=2021-09-25}}</ref>。さらに、チームが25年ぶりのリーグ優勝から[[2016年の日本シリーズ|日本シリーズ]]進出へ至ったことから、赤松自身もプロ入り後初めて日本シリーズへ出場した{{Efn2|阪神時代の2005年は出場資格者には登録されていたが出場機会はなかった。}}。
 
==== 胃癌の発症から練習復帰まで ====
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パンチ力を秘めた打撃<ref>{{Cite web |title=百戦錬磨の個性派プレーヤーたち {{!}} 野球コラム |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20140414-10 |website=週刊ベースボールONLINE |date=2014-04-05 |accessdate=2021-09-24 |language=ja}}</ref>と[[50メートル競走|50メートル走]]5秒5の俊足、遠投125メートルの強肩を誇る<ref>{{Cite web |url=https://dailynewsonline.jp/article/908653/ |title=【プロ野球】FAの人的補償をチャンスに変えた選手たち |publisher=デイリーニュースオンライン |date=2015-01-12 |accessdate=2015-07-12}}</ref>。出塁してからは果敢に[[盗塁]]を狙い、成功率も高いため試合終盤、代走の切り札として活躍している。
 
阪神時代はやや怪我が多い傾向があり、2006年春・2006年秋のキャンプには参加できなかった。二軍では毎年好成績を残すが、[[赤星憲広|赤星]]など外野の層が厚く一軍では結果を残せていなかった。
 
赤松本人は不器用と言うが、足が速いので器用と思われることが多く、阪神時代は型にはめられて伸び伸びプレーすることができなかったという。それが広島に来て、自分の思うようにやらせてもらえるようになり、力を発揮できるようになったと語っている。その象徴がバッティングフォームの変化である。阪神時代から、足をがに股気味に開いた[[オープンスタンス]]が特徴だったが、広島移籍後の短期間で足の開き方が大きく広がり、極端なオープンスタンスで小刻みに体を動かしながらタイミングを取る、独特のフォームに変化した。赤松はこれについて、「阪神時代はダメと言われたけど、広島のコーチは『やってみろ』と言ってくれた」と語っており<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/osaka/ser2/200807/13/ser2212934.html |title=赤松“恩返し”の決勝打 古巣のVマジック点灯阻止 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=2008-07-13 |accessdate=2021-09-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080914022414/https://www.sponichi.co.jp/osaka/ser2/200807/13/ser2212934.html |archivedate=2008-09-14}}</ref>、実際このフォームにしてから打率も上昇傾向にある。
 
また当初は足の速さを活かすためのダウンスイングが、鋭角に叩こうとする意識のため逆にフライになるため、[[小早川毅彦]]打撃コーチの指示のもとでレベルスイングに修正したところ、翌日の阪神戦で古巣に対し初の猛打賞を記録した<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2008/05/15/0001041040.shtml |title=赤松、虎よどうだ!猛打賞 |publisher=[[デイリースポーツ]] |date=2008-05-15 |accessdate=2021-09-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080517162433/https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2008/05/15/0001041040.shtml |archivedate=2008-05-17}}</ref>。
 
守備面では、俊足を生かした広い守備範囲が特徴。普通の守備陣形であれば外野を抜けたり、野手の間に落ちたりする打球に追い付いて捕ることもある。NPBの一軍公式戦では、胃がん発症発覚前(2017年のシーズン終了時点)での通算失策数はわずか6個。レギュラーに定着していた期間(2008・2009年)の一軍公式戦における[[刺殺]]と[[補殺]]を守備出場イニング数で換算した統計では、いずれの年もセ・パ両リーグで「ゴールデングラブ賞の常連」とされる外野手を引き離すほど高い数値を表している<ref>[http://baseballconcrete.web.fc2.com/fielding/outfielder.html 外野手守備評価]</ref><ref>{{Cite web |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/13264 |title='09年最高の外野手は赤松と栗山だ!その真の実力を“数字”で検証した。 |publisher=Number Web |date=2009-12-08 |accessdate=2021-09-25}}</ref>。
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{{デフォルトソート:あかまつ まさと}}
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:龍谷大学付属平安高等学校出身の野球選手]]
[[Category:立命館大学硬式野球部の選手]]
[[Category:阪神タイガース及びその前身球団の選手]]
[[Category:広島東洋カープ及び広島カープの選手]]
[[Category:NPBオールスターゲーム選出選手]]
[[Category:日本の野球指導者]]
[[Category:立命館大学硬式野球部の選手]]
[[Category:龍谷大学付属平安高等学校出身の野球選手]]
[[Category:京都市出身の人物]]
[[Category:1982年生]]