「スターリングラード攻防戦」の版間の差分

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シュベドラー大将が枢軸軍側のアキレス腱と指摘したルーマニア第3軍の指揮官である[[ペトレ・ドゥミトレスク|ペトレ・ドゥミトレスク大将]]も、自分たちが直面している危険性を早い時期から認識しており、特にソ連軍によるドン川橋頭堡強化を何度も警告していた。しかしヒトラーがフェルディナント・ハイム中将の第48装甲軍団から予備兵力としてドイツ第22装甲師団をペラゾフスキーに回す決定を下したのは、ソ連軍の本格的反攻が始まる9日前の11月10日のことであった。
 
こうしたヒトラーの無能な指示に基づくドイツ軍内の混乱が続く中、ソ連赤軍はスターリングラード防衛に集中し、ドイツ軍を釘付けにし、予備兵力の訓練と展開の時間を稼いだ。共産党中央からは、のちに首相となる[[ゲオルギー・マレンコフ|ゲオルギー・マレンコフ中央委員会書記]]や[[ニキータ・フルシチョフ|ニキータ・フルシチョフ軍事会議委員]]らが派遣され、政治委員として[[督戦隊|督戦]]にあたった。また、[[ラヴレンチー・ベリヤ]]が統括する[[内務人民委員部]] (NKVD) は厭戦的な将兵の摘発や逃亡阻止に努めた。ソ連当局にスターリングラードで処刑された将兵は、1個師団を上回る1万3千人に達している。
 
=== ソ連第62軍の抵抗 ===