削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
33行目:
 
== 来歴 ==
[[豊島区]][[東池袋]]で、8人兄弟の6番目として生まれる<ref name="chugai02">{{Cite web|url= http://www.chugainippoh.co.jp/interviews/hot/20160406-002.html |title= 「笑顔こそ噺家冥利」と語る落語家 三遊亭好楽さん(69) (2/2) |work= 中外日報・ほっとインタビュー |publisher= 中外日報社 |language=日本語|accessdate=2017-10-15}}</ref><ref name="teinen201302">{{Cite web|url= http://www.teinenjidai.com/tokyo/h25/02_1/index.html |title= 「落語に恩返し」  落語家・三遊亭好楽さん |work= 定年時代 ・東京版|publisher= 新聞編集センター |language=日本語|accessdate=2017-10-16}}</ref>。6歳の時に[[日本の警察官|警察官]]であった父親が40代で急死したのちは母親の手で育てられる<ref name="teinen201302"/>。幼少時代は、いわゆる「面倒見のいいガキ大将」だった<ref name="teinen201302"/>。日頃は厳しいものの、家事一切を済ませ子供を寝かしつけた後、[[ラジオ]]で落語を聴いて楽しんでいる母親の姿を見て、落語に興味を持つようになる<ref name="chugai02"/><ref name="teinen201302"/>。[[京華商業高等学校]]時代は、小遣いなどをやりくりして[[池袋演芸場]]に日参していた<ref name="teinen201302"/>。高校卒業後の[[1966年]]4月<ref name="hochi20170516"/>、19歳の時に[[林家彦六|八代目林家正蔵(のち彦六)]]に弟子入りを志願するも、その時は「私は来月70歳になるから」と弟子入りを断られた<ref name="hochi20170516"/>。しかし、4回目の願い出でようやく「死んだ息子と同じ名前だから」と入門を許可され「林家のぶお」で前座、1年後に「九蔵」の名をもらう<ref name="hochi20170516"/>。
 
高校卒業後の[[1966年]]4月<ref name="hochi20170516"/>、19歳の時に[[林家彦六|八代目林家正蔵(のち彦六)]]に弟子入りを志願するも、その時は「私は来月70歳になるから」と弟子入りを断られた<ref name="hochi20170516"/>。しかし、4回目の願い出でようやく「死んだ息子と同じ名前だから」と入門を許可され「林家のぶお」で前座、1年後に「九蔵」の名をもらう<ref name="hochi20170516"/>。

[[1971年]]11月に[[三遊亭歌司]]、[[金原亭馬の助#2代目|二代目金原亭馬の助]]、[[橘家竹蔵]]、[[柳家さん八]]、[[三遊亭小歌|三遊亭歌橘]]、[[三遊亭鳳楽|三遊亭楽松]]、[[三遊亭圓橘#6代目|三遊亭朝治]]と共に[[落語家#二つ目(ふたつめ)|二ツ目]]に昇進<ref name="hochi20170516"/>。[[1979年]]より、日本テレビ系列の『笑点』の大喜利メンバーに加入<ref name="hochi20170516"/><ref>[[#笑点2006]] p. 63</ref>。

[[1981年]]9月に[[柳家さん八]]、[[柳家小袁治]]、[[土橋亭里う馬 (10代目)|十代目土橋亭里う馬]]と共に林家九蔵で[[真打]]に昇進する<ref name="hochi20170516"/>それから間もない[[1982年]]1月29日に師匠・彦六<ref group="注釈">1950年より海老名家から借用していた正蔵の名を、[[林家三平 (初代)|初代林家三平]]没後8日後の1980年9月28日に海老名家に返上、同年の[[鈴本演芸場]]12月中席が正蔵として最後の高座、翌1981年1月の鈴本の下席から彦六を襲名した。([[#正蔵一代]] pp. 212-216、[[#彦六覚え帖]] p. 14)</ref>が死去。それから約1年後の[[1983年]]4月、[[三遊亭圓楽 (5代目)|五代目三遊亭圓楽]]門下に移籍して「'''三遊亭好楽'''」に改名<ref name="hochi20170516"/><ref>[[#笑点2006]] p. 79,81</ref>。同時に[[落語協会]]から[[円楽一門会|大日本落語すみれ会(現在は(→五代目円楽一門会)]]へ移籍する。移籍後、「[[古典落語]]をしっかり修業」すべく、『笑点』を1983年10月9日放送分を最後に一時降板<ref>[[#笑点2006]] p. 81</ref>。それから約4年半のちの[[1988年]]4月3日放送分から、降板した[[桂才賀#7代目|七代目桂才賀]]に代わって『笑点』に復帰する<ref>[[#笑点2006]] p. 95</ref>。
 
[[2010年]]、初の落語集CD『三遊亭好楽 落語集 好日楽語(よきひにらくご)』をリリース<ref>{{Cite web|url= http://www.asagei.com/excerpt/73207 |title=天才テリー伊藤対談「三遊亭好楽」(1)「笑点」と芸歴が共に50周年です! |work= アサゲイプラス |publisher= 徳間書店 |language=日本語|accessdate=2017-10-17}}</ref>。[[2012年]]、自身の半生を振り返る「好楽日和。」を[[晶文社]]から上梓<ref>「好楽 半生振り返った一冊」2012年11月12日付読売新聞</ref>。[[2013年]]には自らの高座や若手(主に好楽の弟子)の育成を目的に、自宅を新築して[[寄席]]「池之端しのぶ亭」をオープンさせた(後述)<ref name="hochi20170516"/>。2015年から2020年まで円楽一門会の会長を務めた<ref name="hochi20170516"/>。2016年から2017年にかけては、自身の芸歴50周年を祝う「好楽ちゃん祭り ~芸歴50周年&古希記念落語会~」を、王楽のプロデュースで開催した<ref name="hochi20170516"/>。