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'''高知県'''('''こうちけん''')は四国地方の南部に位置する県。県西部を流れる四万十川(しまんとがわ)の川面は四万十ブルーや四万十グリーンと呼ばれ、国内有数の清流として知られ、ナショナルトラストのシンボルとなっている。土佐の国の名で親しまれている。
==地理==
[[画像:KochiKenMap1970sKochi-pref.png|thumb|高知県、市町村境界図]]
東西に長い四国の南部、太平洋から[[四国山脈]]までの範囲。高知市周辺と南西部の中村市周辺が少し広い平野だが、他はほとんど海の近くまで山が迫る山国。地質的には四万十帯と呼ばれる堆積岩が多い地域で、火山は無い。高知最大の河川は[[四万十川]]、清流として知られ最近はカヌーで川を下る人が増えた。高知県沖の太平洋を[[黒潮]]が流れており、冬の朝などは海面から湯気が立っているのが見える。気候は温暖多雨で台風の襲来も多い。
 
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==歴史==
===概要===
*高知県は旧[[土佐国]](とさのくに)。
*[[平安時代]]には、土佐は日本国の南限とされてきた。[[紀貫之]]の名著『[[土佐日記]]』は、主人公(女性)の家族が[[国司]]としての勤めを終え[[京]]に帰る旅立ちの場面から始まる。土佐に土着した人は、中央から追われてきた人、逃れてきた人が住み着いた場合が多いと言われている。例えば戦国時代に四国に覇を唱えた長宗我部は、[[飛鳥時代]]の[[蘇我氏]]の支流が長岡郡に定着したもの。[[長宗我部氏]]に滅ぼされた香宗我部氏は、同属で香美郡に住み着いた人。同じく[[一条氏]]は京都の公家が戦乱を逃れて自分の荘園のあった中村に移り住んだ。
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*戦後の政治家[[吉田茂]]は高知県出身であったが、地元の鉄道敷設の陳情に対し、'''『私は日本の総理大臣であり、高知県の利益代表ではない』'''趣旨の返事をしたと言われている。いわゆる土佐の'''イゴッソウ'''である。
*高知県南西部の山間は あまりの辺鄙さゆえに最近まで『開発』されることが無く、豊かな山林とダムの無い大きな川が残った。四万十川は最後の清流として有名である。
=== 市町村合併 ===
* 2004年10月1日: 本川村+伊野町+吾北村=いの町(新設)
* 2005年1月1日: 高知市+鏡村+土佐山村=高知市(編入)
* 2005年2月1日: 東津野村+葉山村=津野町(新設)
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|[[画像:KochiKenMap1970s.png|180px|高知県の1970年代の市町村]]<br>1970年代
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|[[画像:KochiKenMap2003.png|180px|高知県の2003年の市町村]]<br>2003年
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|[[画像:Kochi-pref.png|180px|高知県2004年の市町村]]<br>2004年10月
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==地域==