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官場、淮南、959?1369
1661 永昌衛(!府)
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『'''西遊記'''』(さいゆうき、{{Lang-zh | t=西遊記| s=西游记|p= Xī Yóu Jì||w =Hsi-yu chi|j =sai¹ jau⁴ gei³ | first=t}}、{{Lang-th|ไซอิ๋ว}}、{{Lang-vi|Tây du ký}})は、[[中国]]で[[16世紀]]の[[明]]の時代に大成した[[白話小説]]で、唐僧・[[玄奘三蔵|三蔵法師]]が白馬・[[玉龍]]に乗って三神仙(神通力を持った[[仙人]])、[[孫悟空]]、[[猪八戒]]、[[沙悟浄]]を供に従え、幾多の苦難を乗り越え[[インド|天竺]]へ取経を目指す物語、全100回。[[四大奇書|中国四大奇書]]に数えられる。
著者は、『淮安府志』([[明]]、[[天啓 (明)|天啓]]年間成立)に、[[呉承恩]]([[1504年]]頃 - [[1582年]]頃、[[江省]]出身)の著書として「西遊記」という書名が記述されていることから、彼が作者であると20世紀の中国では定説化していたが、批判的な説が存在し、明確な結論は出ていない。詳しくは後述。
 
『西遊記』の流行を受けて、明代から[[清|清代]]にかけ呉元泰、呉政泰と余象斗が、[[仏教]]と[[道教]]に関わる戯曲・雑劇と神話伝説に基づいて編纂したのが『[[東遊記 (小説)|東遊記]]』・『[[南遊記]]』・『[[北遊記]]』で『[[四遊記]]』と称される。