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=== 27年間の投獄 ===
[[File:Nelson Mandela's cell-Robben Island.jpg|180px|thumb|マンデラが収監されていたロベン島収容所]]
リヴォニア裁判と呼ばれるこの裁判で、マンデラは[[1964年]]に国家反逆罪で終身刑となり、[[ロベン島]]に収監された{{efn|のときの、彼の監獄番号が「46664」であり、現在、彼の財団の活動を象徴する番号となっている。厳密には上位「466」が彼の囚人番号、下位「64」が彼の投獄された年、19「64」年の下2桁である。そのため、「46664」は一般に、four-double six-six-fourと発音する}}<ref>レナード・トンプソン著、宮本 正興・峯 陽一・吉国 恒雄訳、1995、『南アフリカの歴史』、明石書店 ISBN 4750306991、p.369</ref>。[[1969年]]5月には、イギリス人傭兵の有志が集まり、ネルソンを救出する作戦が立てられたことがあったが、南アフリカ側への情報漏れで中止されている<ref>『ネルソン・マンデラ』 メアリー・ベンソン著</ref>。[[1982年]]、ケープタウン郊外の[[ポルスモア刑務所]]に移監。収監は27年にも及び、マンデラはこの時期に[[結核]]を始めとする呼吸器疾患になり<ref name="cnn20130407">{{cite news |title=マンデラ元大統領が退院、肺疾患の病状改善 南アフリカ |newspaper=[[CNN (アメリカの放送局)|CNN]] |date=2013-4-7|url=http://www.cnn.co.jp/world/35030509.html |accessdate=2013-4-7}}</ref>、[[石灰石]]採掘場での重労働によって目を痛めた<ref>[http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8618/ 独居房、N・マンデラの足跡] ナショナルジオグラフィック 2013年12月6日</ref>。収監中にも勉学を続け、1989年には[[南アフリカ大学]]の通信制課程を修了し、法学士号を取得した。また、アパルトヘイトの主要勢力である[[アフリカーナー]]との対話を予測し、[[アフリカーンス語]]や[[ラグビー]]の知識を身につけたのも獄中でのことだった。
 
獄中にあってマンデラは解放運動の象徴的な存在とみなされるようになり、マンデラの釈放が全世界から求められるようになっていった。[[1982年]]にはロベン島からポールスモア[[刑務所]]に移送され、ロベン島時代よりはやや環境が改善された。[[1988年]]にはビクター・フェルスター刑務所に再移送された。[[1989年]]には[[ピーター・ウィレム・ボータ]]大統領がケープタウンに彼を招き、会見を行った<ref>「新書アフリカ史」第8版(宮本正興・松田素二編)、2003年2月20日(講談社現代新書)p388</ref>。[[1989年]]12月にも当時の大統領[[フレデリック・デクラーク]]と会談しているが、この時はまだ獄中から釈放されることはなかった。
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引退後も人気は根強く、2005年に[[BBC]]が行った[[世界政府]]の[[大統領選挙]]と仮定した世論調査ではトップに選ばれている<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/4298568.stm BBC NEWS | Africa | Mandela wins BBC's 'global election']</ref>。[[2010年]][[6月11日]]に行われた[[2010 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ南アフリカ大会]]の開会式に出席する可能性が高いと親族が明らかにしていたが、前日にひ孫が交通事故で亡くなったことを受け、出席を断念。代わりにビデオメッセージを送った。なお閉会式には出席した。
 
この時以降公の場には姿を現さなかった。90歳を越えて高齢のため体に衰えが見え始めており、[[2012年]][[12月8日]]に肺の感染症のため、首都プレトリアの病院に入院した。2013年4月6日、症状が改善したため退院した<ref name="cnn20130407" />。しかし、2013年6月から体調は悪化し、感染症を再発し6月8日から再入院となった<ref>{{cite news |title=マンデラ氏が肺感染症で再入院、容体深刻も安定 南ア |newspaper=[[CNN (アメリカの放送局)|CNN]]|date=2013-6-9|url=http://www.cnn.co.jp/world/35033154.html | accessdate=2013-6-9}}</ref>。
 
=== 死去 ===
{{Main|ネルソン・マンデラの死}}
[[File:Flowers for Mandela 01.JPG|200px|thumb|マンデラ像に手向けられた花束]]
2013年6月23日、南アフリカ大統領府はマンデラが危篤状態に陥ったと発表した<ref>{{cite news |title=マンデラ氏が「危篤」、容体が悪化 南ア大統領府発表 |newspaper=[[CNN (アメリカの放送局)|CNN]] |date=2013-6-23 |url=http://www.cnn.co.jp/world/35033744.html| accessdate=2013-6-23}}</ref>。その後、マンデラの容態は安定しており、7月18日に病室で95歳の誕生日を迎えた。娘のジンジは7月16日に、「ヘッドホンを着けてテレビを見ており、笑顔を見せた」という様子を語っている<ref>{{cite news |title=危篤だったマンデラ氏、TV見て笑顔…95歳に |newspaper=[[読売新聞]] |date=2013-7-19|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130718-OYT1T01026.htm| accessdate=2013-7-24}}</ref>。マンデラの誕生日に合わせて、2013年[[7月18日]]に、[[国際連合]]は[[国際連合本部ビル|本部]]で「ネルソン・マンデラ国際デー」の式典を開き、マンデラの功績を称えると共に回復を祈った<ref>{{cite news |title=マンデラ氏誕生日 国連で式典 |newspaper=[[日本放送協会|NHK]] |date=2013-7-19 |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130719/k10013139881000.html |accessdate=2013-7-24}}</ref>。
 
2013年12月5日(日本時間6日未明)、[[ヨハネスブルグ]]の自宅で死去<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131206/k10013619521000.html 南アフリカ マンデラ元大統領が死去][[日本放送協会|NHK]]2013年12月6日閲覧</ref><ref>[http://abcnews.go.com/International/nelson-mandela-dead-south-african-president-dies/story?id=8787025 Nelson Mandela Dead Former South African President Dies at 95](ABC News)12/6閲覧</ref><ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131206-00000015-jij-m_est マンデラ氏死去、95歳=アパルトヘイト撤廃に尽力―ノーベル平和賞・南ア](時事)12/6閲覧</ref>。{{没年齢|1918|7|18|2013|12|5}}。
 
追悼式には[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|アメリカ]][[NBC|3大]][[CBS|ネットワーク]]と[[CNN (アメリカの放送局)|CNN]]・[[BBC]]もそれぞれのアンカーマンを現地([[ヨハネスブルグ]]もしくは[[プレトリア]])に派遣し、各国からも[[日本]]の[[皇太子徳仁親王]]、[[イギリス]]からは[[チャールズ皇太子]]{{efn|女王[[エリザベス2世]]は出席を希望したが高齢のため叶わず、代わりに[[ウェストミンスター寺院]]での追悼行事を行うこととなった。ウェストミンスターで国外の人物の追悼行事を行うのは初である<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/131209/mds13120901250000-n1.htm チャールズ皇太子が出席へ] MSN産経ニュース、2013年12月10日閲覧</ref>。}}と[[デーヴィッド・キャメロン]]首相、[[アメリカ合衆国]]より[[バラク・オバマ]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]及び[[ビル・クリントン]]や[[ジミー・カーター]]元大統領、[[ブラジル]]の[[ジルマ・ルセフ]][[ブラジル連邦共和国大統領|大統領]]、[[キューバ]]の[[ラウル・カストロ]][[キューバの国家元首|国家評議会議長]]など各国の国家[[元首]]もしくはそれに準ずる人物が出席し、追悼式典の[[要人|VIP]]席でバラク・オバマとラウル・カストロが握手する、[[弔問外交]]となった<ref>NBCナイトリーニュース、Podcastにて2013年12月10日閲覧</ref>。
 
マンデラは生まれ故郷のクヌにて埋葬されることとなり、12月15日、クヌにて[[国葬]]が執り行われ、同地に埋葬された<ref>http://www.afpbb.com/articles/-/3005180 「マンデラ氏、故郷に埋葬 首都では銅像公開へ」AFPBB 2013年12月16日 2015年12月6日閲覧</ref>。