削除された内容 追加された内容
90x (会話 | 投稿記録)
90x (会話 | 投稿記録)
26行目:
これらの「セカイ系」の用法においても、『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』の強い影響があったとする見方は持続している<ref name="asaba"/>{{Sfn|笠井潔|2008|pp=47-48|loc=社会領域の消失と「セカイ」の構造}}が、その一方で「きみとぼく」+「世界の危機」という構造は[[ギャルゲー]]/[[アダルトゲーム]]特有の方法として現れたとする見方も提出されている<ref name=hajou10-a>東浩紀「波状言論」10-a号 上遠野浩平インタビュー「ブギーポップの彼方に視えたもの」後編、2004年</ref>。
 
これらのセカイ系作品については、前述したように社会領域を描いていない点への批判があり、アニメ監督の[[谷口悟朗]]は「法律がどうとか道徳がどうとか過剰に入れ込んでいったら、写実的ではあるかもしれないけど邪魔じゃないですか(笑)。そういう気持ちはわかるということです。ただ、やっぱり私は「社会」というものを考えちゃうタイプなんですね」として自身の作品に社会の要素を入れたという<ref>[https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2018/06/06/105829/ 『コードギアス』谷口悟朗が明かす監督術ーー「こうすれば売れる」をわかった上で裏切る - エンタメ - ニュース|週プレNEWS]</ref>。集英社[[コバルト文庫]]の看板作家だった[[久美沙織]]はセカイ系と評されていた小説の解説で、少年が戦闘せずにそれを少女に代行させ、その少女から愛されて最後には少女を失うという筋書きは「自分本位の御都合主義で、卑怯な責任放棄」に過ぎないと述べ<ref>『ちーちゃんは悠久の向こう』(日日日著、新風者文庫、2005年)所収の久美沙織による解説</ref>、評論家の[[宇野常寛]]は「母性的承認に埋没することで自らの選択すらも自覚せずに思考停止」しているとした{{Sfn|宇野常寛|2008|p=86}}。
 
一方で、文学的要素の強い越境的な作品を、ジャンルプロパーの作家や読者が批判・揶揄するために用いられたが、これは発祥である『ぷるにえブックマーク』での用法に近い。しかし、2000年代後半以降、[[ライトノベル]]周辺の商業的販促フレーズとしての定義が優勢となり、越境的作品も減少したことから、[[インターネットスラング]]として使われる機会は減っている。