「クウェート侵攻」の版間の差分

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=== 戦闘の展開 ===
1990年8月1日午前1時(現地時間)、イラク軍はクウェート国境を越えて侵攻を開始した{{Sfn|防衛研究所戦史研究センター|2021|pp=22-25}}。侵攻の先鋒は、共和国防衛隊の{{仮リンク|ハンムラビ師団|en|1st Hammurabi Armoured Division|label=第1「ハンムラビ」機甲師団}}、{{仮リンク|アル=マディーナ師団|en|2nd Al Medina Armored Division|label=第2「アル=マディーナ」機甲師団}}、[[タワカルナ師団|第3「タワカルナ」機械化歩兵師団]]の3個の精鋭師団が担い、またその後方には、やはり共和国防衛隊に所属する4個歩兵師団が続くことになっていた{{Sfn|防衛研究所戦史研究センター|2021|pp=22-25}}。
 
侵攻開始30分後には、特殊部隊がクウェート市に対して[[ヘリボーン]]強襲を実施、また海からも[[コマンド部隊]]が王族を捕らえるための上陸作戦を行っていた{{Sfn|防衛研究所戦史研究センター|2021|pp=22-25}}。しかしクウェート首長一族のほとんどは逃亡に成功し、首長の弟である[[シェイク・ファハド・アル=サバーハ]]のみが宮殿に残っていたために殺害された{{Sfn|防衛研究所戦史研究センター|2021|pp=22-25}}。イラク侵攻部隊はほとんど抵抗を受けずに前進し、早くも5時30分にはクウェート市へ突入し、市内にいたコマンド部隊と合流した{{Sfn|防衛研究所戦史研究センター|2021|pp=22-25}}。
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== 参考文献 ==
* {{Citation|和書||author=外務省|year=1991|chapter=第2章 湾岸危機と日本の外交|title=外交青書 - わが外交の近況|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1991/h03-2-1.htm|publisher=[[国立印刷局|大蔵省印刷局]]|ncid=BN01367050|ref=harv}}
* {{Citation|和書|authorlink=防衛研究所|author=防衛研究所戦史研究センター|year=2021|chapter=第1章 危機の勃発――イラクのクウェート侵攻|title=湾岸戦争史|publisher=防衛研究所|pages=1-27|url=http://www.nids.mod.go.jp/publication/falkland/pdf/gulf_006.pdf|ncid=BC07347365|ref=harv}}
* {{Citation|和書|authorlink=山崎雅弘|last=山崎|first=雅弘|year=2010||month=8||title=湾岸戦争|chapter=イラク軍のクウェート侵攻と「砂漠の盾」作戦|series=[[歴史群像]]アーカイブ Vol.15||pages=56-63|publisher=[[学研プラス]]|isbn=978-4056060560|ref=harv}}