「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」の版間の差分

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=== 東離劍遊紀(第一期) ===
: 護印師の末裔、[[#丹衡|丹衡]](タンコウ)と丹翡(タンヒ)の兄妹は、「神誨魔械」(しんかいまかい)の中でもひときわ危険な力を有するという「天刑劍(てんぎょうけん)」を聖域で守っていた。
: ある日、「天刑劍」を狙う悪漢・蔑天骸(ベツテンガイ)率いる徒党、謎の集団「玄鬼宗」(げんきしゅう)が護印師の末裔の兄妹を襲撃した。玄鬼宗を率いる首魁の蔑天骸(ベツテンガイ)は、「天刑劍」を手に入れたあと、それを使ってある大きな野望を考えていた。
: 「天刑劍」は、分解できる剣であり、柄(つか)と鍔(つば)を刀身に取り付け、元の形に戻して初めて「天刑劍」を台座から引き抜くことができた。護印師の末裔の兄妹はそれぞれを持って「玄鬼宗」の襲撃から逃げた。しかし、兄の丹衡(タンコウ)は蔑天骸の邪悪な剣技に破れ、柄を奪われてしまった。そして、鍔を持つ妹の丹翡(タンヒ)にも玄鬼宗の魔の手がすぐそこまで迫っていた。
:一方、雨に濡れた旅の剣客・殤不患(ショウフカン)は、雨ざらしの石仏に備えられた雨傘を拝借しようとしたところを、謎の男・鬼鳥(キチョウ)に諌められ
:鬼鳥(キチョウ)は「お前が借りた雨傘の義理で、この先で最初に出会った者に、仏に成り代わって慈悲をかけてやれ」と説いた。その後、殤不患(ショウフカン)は、道中で一人の女が黒装束を着た謎の集団「玄鬼宗」に追われてるのを目撃した。
:その女は、護印師の末裔の丹翡(タンヒ)であり、今、まさに、玄鬼宗の殘凶(ザンキョウ)たちによって殺されようとしていた。そこで、殤不患(ショウフカン)は、助けに入り、必殺の剣技で玄鬼宗たちを次々に斬っていき、丹翡(タンヒ)を危機から救った。戦いで敗北した玄鬼宗の幹部の殘凶(ザンキョウ)は、玄鬼宗の邪魔をした殤不患(ショウフカン)の顔と名前を憶えて、そして自分の首をはねて自害した。
:結局、この日の殤不患は、鬼鳥の言う「仏のような慈悲」で、玄鬼宗に追われていた丹翡を救い出したのである。
:しかし、殤不患は、この出来事が原因で、玄鬼宗から恨みを買うことになった。その後、殤不患は、町のどの店に行っても人から恐れられたり、追い返されたりした。なぜ自分がこんな対応を受けるのか、街道?」と思いながら町の中を歩いてると、町の壁のあちこちに玄鬼宗の張り紙を見つけた。実は玄鬼宗は殤不患の顔と名前を記した何十枚もの手配書を町中の壁に張り付けて、町の住人達にこの男を「要注意人物」として知らせたのだ。この張り紙を見殤不患茫然としていると、た。そこに玄鬼宗の第二の刺客がやってきた。その女幹部は獵魅(リョウミ)といい、獵魅(リョウミ)は玄鬼宗の敵・殤不患(ショウフカン)を抹殺する為、多くの兵たちで襲撃した。しかし、そこへ、弓の名手の狩雲霄(シュウンショウ)と槍の使い手の捲殘雲(ケンサンウン)が助けに入り、玄鬼宗たちの攻撃を撃退した。そして、そこに、鬼鳥がやってきて、「これから、丹翡の兄の仇討ちの為に玄鬼宗を打倒しに旅に行くので、君も一緒に私たちの旅に参加してみないか?」と殤不患(ショウフカン)を旅に誘った。最初、旅に来ただけの殤不患(ショウフカン)は、その後、この町で玄鬼宗から次々と命を狙われるようになり、もう旅を1人で楽しむどころではなくなったので、鬼鳥のいう玄鬼宗打倒の旅に加わることにした。さらに、鬼鳥(キチョウ)は、魔族の刑亥(ケイガイ)と剣鬼の「鳴鳳決殺(めいほうけっさつ)」こと殺無生(セツムショウ)を旅の仲間に加えた。
:鬼鳥の旅の一行は次のメンバーで行くことになった。
:* 旅のリーダーの鬼鳥
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:特に殤不患(ショウフカン)は素性のわからない謎の男だったので、他の仲間たちから不信の目でしつこく見られた。「亡者の谷」では、殤不患(ショウフカン)は、自分だけ仲間の作った結界に入れてもらえず、1人で死者たちと戦わされた。「傀儡の谷」では、他の仲間たちが安全な場所にいるのに、殤不患(ショウフカン)だけ、巨大な石像と戦わされた。このように旅の仲間からひどい仕打ちを受けた殤不患(ショウフカン)は激怒し、そんな仲間たちと別れて単独で七罪塔に行くことにした。そんな彼を心配して、丹翡(タンヒ)と鬼鳥は、殤不患(ショウフカン)の後を追った。
:すると、その3人の前に、骸骨の鳥「魑翼」(みよく)を見つけたので、3人はそれを使って空を飛んでいき、七罪塔に向かった。一方、地上に残された狩雲霄、捲殘雲、刑亥、殺無生の4人は歩いて七罪塔に向かった。
:殤不患と丹翡(タンヒ)と鬼鳥が七罪塔に着くと、そこには玄鬼宗の首魁の蔑天骸(ベツテンガイ)たちがすでに3人を出迎えていた。
:丹翡(タンヒ)にとって、目の前にいる蔑天骸(ベツテンガイ)は宿敵だったので、丹翡(タンヒ)は兄の仇を討とうと、玄鬼宗頭目の蔑天骸(ベツテンガイ)に剣で立ち向かうが、途中で鬼鳥が幻術をかけて、丹翡は殤不患(ショウフカン)と味方同士で対決してしまった。やがて、この2人は玄鬼宗の手下に捕まり、牢屋に入れられた。その後、その牢屋の前に狩雲霄、捲殘雲、刑亥、殺無生の4人が来て、牢屋に入れられた二人を嘲笑った。そして、その時、彼らは、今回の旅を企画した鬼鳥のことを2人に教えた。
:弓の名手の狩雲霄(シュウンショウ)は、旅のリーダーである鬼鳥の正体が東離では有名な悪党である大怪盗「掠風竊塵(リョウフウセツジン)」こと「凜雪鴉」(リンセツア)であることを暴露した。「凜雪鴉」(リンセツア)の本当の狙いは丹翡の持っていた天刑劍の鍔を蔑天骸(ベツテンガイ)に売り渡し、その後、その完成形となった「天刑劍」を隙を見て、自分で掠め取るつもりだと説明した。弓の名手の狩雲霄は報奨金のために名声を得る悪漢であるので、自分は鬼鳥に単に金で雇われて、今回の旅に加わったのだった。
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:凜雪鴉(リンセツア)は狡猾な手段を使い、人を欺き、陥れ、その誇りや宝を奪う怪盗であった。その為、いつも多くの人たちから恨まれていた。そこで、凜雪鴉は自分の用心棒として無双の剣鬼、殺無生(セツムショウ)を雇った。殺無生(セツムショウ)は金さえ払えば相手を殺す殺し屋であり、その名前は悪名高いものであった。殺無生は生まれた時から不遇の人生を送った。生まれた時に不吉な鳥が鳴き、それで母親が殺された。その後、その場で騒動が起こり、壮絶な殺し合いが起きた。それで、父親はまだ赤子だった殺無生(セツムショウ)の頭を叩き割り、頭蓋骨が見える血だらけの状態で剣術の道場の前に捨てた。そこで、殺無生(セツムショウ)は道場の師匠に拾われ、育てられ、剣術を習った。その後、殺無生(セツムショウ)は、人の情けを知らぬ冷酷な殺し屋になった。
:ある日、凜雪鴉は殺無生に「君はまっとうな人間にならないか。もし、過去の自分と決別したければ、別の新しい名前を使って名誉ある行いをすればいい」と言い、劍技を競い合う大会「劍聖會」(ケンセイカイ)の出場をすすめた。その大会は剣聖・鐵笛仙(テッキセン)が主催する大会であり、優勝はずーと、鐵笛仙(テッキセン)が独占していた。また、鐵笛仙は殺無生の昔の剣術の恩師であった。 そこで、殺無生は「鳴鳳決殺」(メイホウケッサツ)という新しい名で出場することになった。しかし、この大会は最初から謎めいた展開となった。大会中に謎の矢が大会の参加者たちに打ち込ま射られたり、毒を盛られたりして、大会の参加者たちは次々と負傷した。殺無生にも、その謎の矢が飛んできたが、殺無生は素早くその矢を掴み取り無事だった。その後殺無生はそんな参加者たちと対決していった。対戦相手には、玄鬼宗の殘凶(ザンキョウ)もいたが、先ほどの謎の矢で右手を負傷し、競技中に殺無生に降伏を申し出た。その後、殺無生は次の対戦相手に順調に勝利していき、最後は、剣聖・鐵笛仙(テッキセン)の対決となった、剣聖・鐵笛仙(テッキセン)は殺無生に「剣聖とは剣の玉座だ、貴様にはふさわしくない」と言って戦闘が始まった。剣聖・鐵笛仙と殺無生は互いの剣技をぶつけ合い、白熱した戦闘となったが、殺無生が剣聖・鐵笛仙(テッキセン)の腹に剣を突き刺して勝利した。しかし、大会の競技審判団の判定は、殺無生に対し「反則負けであっ」の判定をした。この予期せぬ判定結果に殺無生は驚き、なぜそんな判定になったのか理解できなかったが、剣聖・鐵笛仙(テッキセン)の足にはを見ると、戦闘中に誰かに射られたと思われる矢が突き刺さっていた。
:剣聖・鐵笛仙(テッキセン)は殺無生に「生涯、貴様には剣聖の名など与えられない、貴様は剣鬼でしかない。私は貴様に剣など教えるべきではなかった。昔、貴様を拾った時、私は貴様があのまま死ぬのを待てば良かった、死なぬと言うならこの手で殺すべきだった。」と言って死亡した。殺無生はまだ事態が理解できなかった。ここで、凜雪鴉が登場し、大会側は、殺無生が卑怯な手段を使って参加者たちを事前に負傷させたり弱らせたりして、それで戦いに勝利したのだと説明した。それに対して、殺無生は「自分にも矢を何者かに射られ。攻撃された。」と反論するが、その時、自分に打た射られた矢は、凜雪鴉の幻術によって今は笛に変わっていた(つまり、殺無生のところには矢が飛んでこなかったことになる)。ここで、殺無生は自分が凜雪鴉にはめられたことに気づいた。最初、大会に出場するように勧めたのは凜雪鴉なのに、その凜雪鴉が殺無生を反則負けになるように仕組んでいたのだった。また、大会で、謎の矢を放った犯人は弓の名手の狩雲霄(シュウンショウ)であり、これも凜雪鴉が仕組んだことであった。凜雪鴉は、日頃から他人の剣技に格式ぶった肩書を与えるのは「劍聖會」を不愉快でありに思っていて、今回でその「劍聖會」の伝統と名誉がなくなった。つまり、怪盗の凜雪鴉は殺無生を利用して、「劍聖會」の最高の至宝を盗んだのであった。一方、殺無生は、過去の血塗られた人生と決別して、新しい人生を歩むという希望が打ち砕かれたので、凜雪鴉に対して激しい憎悪が生まれた。そして、自分の剣技を「反則負け」と一方的に断罪した大会の関係者たちをその場で次々と殺していった。この時から、剣鬼の殺無生と怪盗の凜雪鴉は因縁の関係で結ばれ、殺無生は凜雪鴉を殺す為に、凜雪鴉の行方をどこまでも追うようになった。
 
=== 西幽玹歌 ===
薄暗い空の下、冷たい風が吹く山の場所で、少年の浪巫謠(ロウフヨウ)は、盲目の母親・咒旬瘖(ジュシュンイン)の指導を受けて歌の練習をしていた。浪巫謠がちょっとでもミスをすると、母親は木の枝でひっぱたき、厳しく叱った。母親はいつも浪巫謠にこう言った。

「もっと高く、もっと透明に!その歌声を神々に伝えなさい! 歌うが如く鍵(ケン)を振るうのです! 敵を斬るように奏でるのです!拍も音階も刃の上の生と死に等しい! 歌に生き、歌に一途なら、その声は剣と同然!武の心をもってその声を操るのです!」

浪巫謠は母親の言う通りに毎日、歌の練習をし、武芸を磨いた。また、母親は我が息子が歌の世界で「天下の至宝」になることを願った。しかし、ある日、浪巫謠は歌の練習のしすぎで喉を痛めてしまった。それで、次の日、起きたら声が変わっていた。その声を聴いた母親はびっくりして「私の息子!巫謠(フヨウ)はどこ?どこにいるの?」と叫んだ。浪巫謠は母親のすぐ近くに自分がいることを言っても、母親は目が見えないのでわからなかった。自分の息子がどこかに消えたと思った母親はひどく取り乱して、外を走って我が息子を何度も呼び、やがて、崖の下に落ちて死亡した。その後、浪巫謠(ロウフヨウ)は町の飲食店酒場に行き、食事をしたが、お金を持ってなかったので、代わりに歌を歌った。すると、その歌声は店内に美しく響き、客たちは言葉を失って聞きほれた。その後、浪巫謠はその店で楽士として働き、その歌は、評判になって客がどんどん店に集まるようになった。浪巫謠は夜、散歩していると、睦天命(ムツテンメイ)に出会い、彼女から「あなたの働いてる酒場は割り悪い連中が多いので、その酒場から逃げたほうがいい」と忠告した。
 
ある日、西幽の警察機関・衙門(がもん)はその酒場に立ち入り捜査し、店の経営者や客たちを逮捕・連行し、楽士の浪巫謠も共犯として逮捕・連行した。衙門の取調室では、メガネをかけた西幽の役人の嘯狂狷(ショウキョウケン)が、浪巫謠に「あの店は、高額の席料と阿片酒を客たちに毎日、振る舞っていた。客たちは皆、窃盗や追いはぎ、贋作作りなど犯罪に手を染めていた。お前もそいつらと共犯だ。このままだと罪人として裁かれるぞ」と伝えた。それを初めて知った浪巫謠はびっくりしたが、嘯狂狷は「お前のその歌声で西幽の皇女を満足させば、新しい人生が開ける」と助言した。
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また、浪巫謠を町で見つけた嘯狂狷(ショウキョウケン)は皇女・嘲風から喜ばれて役職が「緝察使」(しゅうさつし)に昇進し、次の新たな使命「啖劍太歳」(タンケンタイサイ)の討伐を命じられた。
 
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「天籟吟者」(テンライギンジャ)となった浪巫謠は、まだ実感がわからなかったが、西幽の皇女・嘲風(チョウフウ)は浪巫謠に「そなたは、私の鶯じゃ!この宮殿のカゴの中で一生、暮らすのじゃ!」と命じた。
 
浪巫謠が「天籟吟者」になったニュースは西幽の城下町で大きく報じられ、町の壁の張り紙には、「天籟吟者・浪巫謠」を歌と武芸で倒す強き挑戦者たちを募集していた。
 
次の日、西幽の宮殿「鳳曦宮」(ホウギキュウ)で、多くの奏者、楽士たちが演奏し、戦う大会が始まったが、その多くは西幽の衛兵たちに次々に剣で刺され、血を流して死亡した。その演奏の競技場は人間の血で赤く汚れていた。浪巫謠の番になると、そこには、すでに対戦相手がいて、その相手は、睦天命(ムツテンメイ)であった。浪巫謠は、睦天命(ムツテンメイ)と対決することになった。演奏が始まると、浪巫謠と睦天命はそれぞれ、楽器を美しく奏でて華やかに歌った。西幽の衛兵たちが横から剣で襲うも、浪巫謠と睦天命は軽やかに飛び、衛兵たちの剣を素早くかわしていった。そんな二人を見た西幽の皇女・嘲風は目を輝かせて大いに感動し、二人の演奏にますます引き込まれていった。
 
一方、同じ頃、西幽の宮殿内に魔剣を集める大悪党の「啖劍太歳」(タンケンタイサイ)が侵入した。
 
== 登場人物 ==